カテゴリー
思考

<目の独裁>

 かつて、ジョン・レノンが、「イマジン」(想像してごらん)という歌を、うみだした。この歌が、こだましつづける、当時の日本は、どんな時代を、むかえていたのだろう。生き方が多様化してくるこの頃、市民社会の前提を、つきくずしてきたのかもしれない。でも、まだ、令状がくれば、戦場に行くというふうに、身体の中にプログラムされ、埋め込まれているのだとしたら、それは恐ろしい。

   ★     ★     ★

・エンドレスリピート
 人は、生まれてきたときから、世界は、こういうものだと、教えてくる。だから、自然に、教えられた世界以外の世界を、見ようなどという、選択の余地を、奪われる。いったん、このような世界の在り方が、確立されると、僕らはそれを、たえまないことばの流れによって、死ぬまで、くりかえし、再生しつづける。

・世界を止める
 「商品に値段がある」とか、「お金で人を雇える」といった当たり前のことを、不思議に思う感覚は、一度、持ってしまうと、なかなか、離れない。一見、平凡なもののようにみえることも、少し考えれば、奇妙なこととして、問題的に感じることは、生きにくいのかもしれない。だから、「世界を止める」、すなわち、自己の生きる世界の自明性を、解体することが、僕にとって、必要になってくるのだ。

   ★    ★    ★

 これまで築いてきた文明は、目に、依存していると、言われることがある。目の世界が、唯一の、客観的な世界であるという偏見に、満ちている。でも、そのような<目の独裁>から解き放たれたとき、はじめて、世界をきく、世界をかぐ、世界を味わう、世界にふれることが、できるのかもしれない。そのとき、この社会の複雑性を、知り、奥行きまでも、変えてしまうはずだ。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です