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思考

対話が、起きるとき

 誰もが、自分を、正しいと、信じて疑わない。それじゃあ、まるで「正義」と「正義」の闘いじゃないか。いつまでたっても、向かっている方向が、ひとつに、定まらない。
 飽きもせず、だれかの不祥事を、騒ぎ立てる。不倫、失言、セクハラ、お金の問題を取り上げて、本当に、支援が必要なひとの声を、届けようとしない、マス・メディア。テレビの中で起きることが、全てじゃないのは、分かる。でも、あまりにも、くだらなさが際立って、チャンネルをかえるスピードに、拍車をかける。世間って、こういうものが見たいのかという、懐疑心が、募るばかりだ。

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・収奪
 都会の、効率性を重視した生活の中で、生まれる不幸を、どうにかしようとする。けれど、書類がないから、ハンコがないから、営業時間外だから、ひとを、助けることができない。現実は、そんななんだろう。みんなが、恵まれた環境にいるわけでは、ない。貧困の最中で、次々と、選択肢を、奪われている人たちがいる。人生には、自分では、どうしようもない問題が、でてくるのだと、誰かが、語る。

・頼ってもいい
 個人主義に、傾きつつある世の中で、低下していく地域力。どうすれば、孤立する人を、減らせるのか。結局は、人と人の繋がりの中で、その縁の中で、生きている人間は、生きるということの、難解さを避けて、通れない。支援を受けることは、正当なことだと、どうどうと、伝えなければならない。互いに助け合うのが、当たり前なのだと、どうどうと、伝えなければならない。当然のように。

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 便利さを追求するあまりに、見失っているものがある。他人のことなんか、考えている暇はない、自分のことで、精一杯だというのは、嘘じゃないんだろう。そういった考えが、生まれるのは、自然だ。でも、だとしても、困っている人がいたら、助けようと、各人が、努力していくことが、必要なんじゃないか。互いに、平等で、水平の関係があって、それぞれに役割があって、それが、互いを、気にしながら、ひとつの音楽を、奏でていくように、対話が起こり、何かが、解決されていく。少なくとも、そんな世界が、僕は、好きだ。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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