いつも見つけようとして、それでも、なかなか発見できない、<別の世界>への魂の通路は、いったい、どこに存在しているんだろう。それは、出口のない現実からの、逃避であるかもしれない。目に見えない階級の壁が、道を塞ぎ、行く手を阻む。だからこそ僕らは、魂を、存在から、遊離させるような感覚を、忘れることができない。忙しない社会で、騒然としている都会のなかで、蓄積された否定のエネルギーは、押しとどめようもない。
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・イロニー、あるいは滑稽
他人のまなざしが、否応なく分類し、レッテルを貼り、自分じゃない自分に、仕立て上げようとする。いま感じている「幸福」も、すべてが、よそおわれた、無知のうえに成り立っているなら、「解放」もまた、イロニーにすぎない。そして、それぞれが、用意された最後の避難場所へと、足を運ぶ姿はなんて、滑稽なんだろう。
・貧困とは
貧しさが、人を殺すことがある。貧困は、生活の物質的な、水準の問題ではない。「考える精神」を奪い、人と人との関係を、解体し去り、感情を、枯渇せしめんとする、そのような、情況の総体生であると、学者はいう。それは、経済的カテゴリーである以上に、僕らの存在、根本を、おびやかす、哲学の分野にも、含まれる、概念のことだと、僕は思う。
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いつの時代も、変わらず搾取される、労働力。数十万という新鮮な青年、少女を呑み込んでいく、都会の仕組み。余分なものは、排除しようとする社会。飛翔する自由への意志は、遠い夜空の彼方へと、姿を、消してしまったようだ。
「望むとおりに理解されることの不可能」という一節が、僕の胸へと、突き刺さる。どうしてこうも、他人の要求する自分を、作らなければいけないんだろう。それは、まるで、衣装を、ごてごてと身にまとった、奇妙なピエロではないか。人は、他者とのかかわりのうちにしか、存在できない、現実を憂う。無念にもにた感情とともに、道化師の衣を脱ぐ日を、待ちわびたい。