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思考

ここではないどこかをめざして

 人生のなかで、どうしても、折り合いのつかないことを、笑ってやりすごすことができる。そうやって、どうしようもない自分というものと、なんとか、付き合っていけるのだろう。僕たちは、僕たちの人生に、縛りつけられている。いろんな不充分さを抱えた、この自分というものに、閉じこめられて、一生を、生きるのだ。

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・鎖を解く
 家庭や、結婚は、こうあるべきとか、女性や、男性は、こうあるべきだと、思い込んでいて、それが、がんじがらめに縛る、鎖になっている気がする。そして、そこから、外れた人は、自分が、悪いのではないか、自分は、もう幸せになれないのではないかと、思い込まされる。

・区別から逃げる
 同性愛の人、子どもが、できない人など、家族や結婚に関してだけでも、いろいろな生き方がある。それに、働き方や趣味のありかたなど、生きていくうえで、している、ありとあらゆることについて、良いものと、良くないものが、決められ、区別されていく。まるで、自分は、幸せについて、正解を、知っているかのように、語りだす。それは、ひとつの暴力なんだと、思う。

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 僕らは、いつでも、出口を探している。あるいは、生きている実感、リアリティーを、欲している。そのためには、他人だって、傷つけるし、手首を切って、生暖かい血に、浸ってもいいのだ。それほどまでに、今を生きていく困難さを、訴えたい衝動は、止まらない。
 実際は、自分が住んでいる街のことしか、知らない。まるで、好きなところへと、出かけていく自由を、剥奪された身として、生きているみたい。でも、外の世界にむかって、開いている窓をあけて、どこにでも行くことのできる感覚は、何なんだろう。僕らは常に、ここではない、どこかをめざしている。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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