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自由を、独占してはいけない

 世界中で起こった、様々な出来事に対する態度を、たった一つの傾向(保守的、急進的、その他、何であれ)によって、説明しようとするのは、馬鹿げている。思考とは、複雑に、考えが絡み合って、形成されるもので、とても繊細である。

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・悪の、根源を辿る
 例えば、アメリカ独立戦争のような、一部の人々の自由を、擁護するような主張は、不適切であると論じたい。なぜ、彼らの独立だけがまかりとおり、ほかの人々の苦境を、放置するのだろうと。奴隷でない人の自由を、擁護しながら、奴隷の権利については、沈黙していたという事実に対して、批判をしたいのだ。
 僕は、女性の、永続的で、グロテスクな服従という悪を、取り除き、そのように、社会を、変化させていくべきだと、思う。まっとうな政治家が、女子教育の重要性を、主張するのは、家庭や社会生活だけでなく、公共的な事柄においても、女性の声を必要とすると、認識していたからである。今日、世界の貧困を終わらせるのに、女子教育が、劇的な効果をもたらすという証拠が、いくつも蓄積されている。

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 一部の人の自由だけが、重要であり、その他の人々を、排除する形で、人間の自由を、擁護するような議論は、支持できない。そして、特定の人々だけに注目し、他の人々に、目を向けようとしないのは、正義を語る上で、あってはならないのだ。
 全ての人の平和を確立することは、制度的にいって、かなり、困難である。けれど、僕たちの根底にある理念は、そのへんが重要だし、決して、一つのグループだけが、自由を独占するという状況は、避けるべきなのだ。

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救いを、求めて

 ある世界征服者が、哲学者に、一つ問うた。「なぜ、あなたたちは、私に、注目せず、無視するのか」と。この問いに対して、学者は、民主的な答えを、返した。
 「王よ。すべての人間は、この地球の表面で、立っているのと、同じくらいの広さを、所有することができる。あなたも同じ、人間です。すぐに、死ぬでしょう。そのとき、あなたは、自分が、埋葬されるのに、十分な土地だけ、所有することになるでしょう。」
 この厳しい平等的非難に対して、大きな賞賛が与えられた。どのように、公平な世界を、作っていくのかという問題に、大きな指針を、示してくれている点において、敬意を表しつつ、議論を深めていきたい。

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・行き過ぎた、自由
 驚くべきことではないが、個人の自由の重要性を、理性的に認識したから、僕たちは、何世紀にもわたって、自由を擁護し、自由のために、戦ってきたのである。けれど今、自由に対して、完全な優先権を与えるのは、極端すぎると、論じるべきだろう。
 なぜ、飢餓や医療を、受けられないことの方が、個人の、あらゆる種類の自由の侵害よりも、重要でないと、見なさなければならないのだろうか。人の豊かさを、どのように、定義するのかという発問にたいして、そのような議論が、たびたびなされてきた。その答えが出る気配は、一向に、ない。

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 正義をいかに、構築していくかの答えとして、ここで、偉大な研究者のアイデアを、記すのは、乱暴だろう。要約するという行為は、どのようなものであっても、究極的には、野蛮なものである。それでも、基礎的な特徴に焦点を与えて、伝承される必要がある。人間の英知を集結した書物が、今の僕の、救いになっている気がする。

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思考

無垢な僕に、さようなら

 最近、よく夢を見る。妙に、現実的なものから、少し、官能的なシーンの含まれたものまでだ。でも、それは、ただの夢ではなかった。たまたま、夢というかたちをとっている、何かなのだ。
 僕たちが、こうして目にしている光景というのは、世界のほんの一部にすぎない。習慣的に、これが、世界だと思っているわけだけど、本当は、そうじゃない。本当の世界は、もっと暗くて、深いところにある。それを、忘れてしまっているだけなのだ。

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・海面という皮膚
 地球の表面の、三分の二は海だし、肉眼で、見ることのできるのは、海面という、ただの皮膚にすぎない。その皮膚の下に、本当に、どんなものがあるのか、ほとんど、何も知らない。まだ、世界は、未知なのだ。
 一方で、現実には、毎日、様々なことが起きる。そのほとんどを、たまたま、メディアにのって伝わる情報として、受け取る。知った出来事について、ベッドに、寝転がり、天井を、見上げたまま、思案する。そこで、僕は、思うのだ。その情報を知る前と、知った後では、少なからず、変化があるのだと。ある意味では、別の人間に、変わってしまっていた。

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 ここにいる僕は、<新しい僕>であって、もう二度と、もとの場所に、戻ることはないのだ。そこにあるものは、自分がもう、無垢ではないという認識だった。それは、モラリスティックな意味での、罪悪感というのではない。大人になるとか、ならないとかを越えて、冷静に、論理的に、向かい合わなくてはならない。ある種の、物理的な事実が、この先に、あふれていることに、間違いはない。

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相模原障害者施設殺傷事件について(2)

 この事件について、考えていると、なぜか、就職活動で、僕が、行き詰まった理由へと、思考が、流れていった。ここでは、その関連について、述べようと思う。
 就職活動のすえ、結局は、入社する企業を、決定しないまま、学校を卒業することになった。(というか、自分を、雇ってくれる会社が、なかったということなんだけど。)

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・必然性の空白
 まず、企業が、必要性に迫られたサービスを、提供しているのか、疑問に思ったのだ。もちろん、生活に密着して、世の中に、貢献している会社は、いっぱいある。お客様からは、こういったニーズがあって、我が社は、こうやって、需要に応えていますと、もっともらしいことを言う。けれど、説明会で聞いた、情報なり、事実なりが、断片的すぎて、どこまで行っても、イメージというものに、ぶつからなかったのである。少なくとも、その仕事を担う人物が、必ずしも、僕でなければならないという理由が見つかる企業に、出会わなかったのだ。

・名もなき労働者たちへ
 例えば、「家事」という、労働がある。それは、必ず、誰かが、やらなければならず、生活する上で、必須の仕事だ。企業が、全うする労働よりも、必要性は高いかもしれない。けれど、みんなが知っているように、家事の多くを担う、専業主婦に、賃金が、支払われることはない。つまり、仕事の重要度と、賃金の高い安いは、正比例するという考え方が、間違っているということだ。
 家事労働に、賃金が支払われるべきだと、言いたいのではない。実は、その理論そのものが、「給料が高いほど、重要な人間である」という前提を、包有した、罠なのだ。その罠に、かかっている限り、障害者を見下す勤め人は、存在し続けるだろう。エリートと言われる男たちの考えは、この社会を、本当の根幹で支えている、名もなき人々に対する、視点を、欠いているようでならないのだ。

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 結局のところ、役に立つ人間と、役に立たない人間は、区別できるが、価値のある人間と、価値のない人間の境界は、存在しないのだ。だから、障害者だからといって、安楽死を迫られる必要はないし、殺されてもいけない。給料を、もらっていない、また、迷惑しかかけない人間でも、大きな顔をして生きるべきなのだ。そのためにも、粘り強い社会の成熟につながる議論を、継続していくべきだと思う。

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社会の出来事

相模原障害者施設殺傷事件について(1)

 これまで、障害をもった人について、考えることが、多かったんだけど、それについて、どうして、わざわざ、考えるのとか、身近に、そういう人がいるのとかを、想像する人も、いると思うんだけど、実際は、そうじゃない。たぶん、彼らが、生きやすい社会が、僕にとっても、居心地の良いものなんだと、信じているふしがある。なぜ、そうなのと聞かれても、今は、言葉にできない。きっと、まだ、男性が、権力を握ることが多い今の社会で、女性や、子どもが、いきいきと暮らせるように、目指すことと、似ている気がする。

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・ものごとの本質
 一つの障害者施設で起こった出来事が、ニュースになったとき、それについて、考察することが、必要だと感じた。容疑者の行為が、残虐で、常軌を逸したもので、世間から非難され、凄惨な事件だったと、片付けることは、簡単なのかもしれない。たしかに、ものごとの本質というものは、一般論でしか、語れない場合が、きわめて、多いのだろう。私達は、誰しもが、専門家ではないし、あくまで、漠然としか、語れない。ときには、陳腐でさえあるかもしれない。それでも、一歩先へ進んだ議論が、必要なのではないかと、考えている。

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 障害者は、不幸しか生まないのだと決めつけ、彼らを、殺害してしまうことは、間違いなく、誤った行為であると思うし、偏見に満ちた、考えだと思う。一方で、現代社会において、若くて、自分のことで、忙しい人間が、どれだけ、障がい者の人生について、真剣に考えているのだろうか。(それは、おせっかいの域を、こえないかもしれないけど。)もし、無関心が、事件のうしろに、隠されているとしたら。もしかしたら、殺すまでは、及ばなくても、障害をもったものを、厄介な目で見る気持ちが、人の心の何処かに、存在していたらと、不鮮明ながら、感じている。もちろん、僕も、含めて。次回に続きます。

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社会の出来事

揺れる、立場

 各地で起こる、テロのニュースが、僕の気分を、少し、落ち込ませている。いろいろな文化や、宗教が、混在している世界で、お互いの価値観を、尊重し合うということは、絵空事なのだろうか。それでも、やはり、異文化を、理解することは、大切だと教わってきたし、それが、正しいのだと思う。問題は、なぜ、我々が、多様性を、尊重しようとする姿勢に、辿り着いたのかだ。

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・つまらないを、遠ざける
 答えは、単純だと思う。人は、いったん、生まれてしまうと、ともかく、生きてしまっている。その命を奪う権利なんて、誰にも、ないからだ。黒人だからといって、射殺されてはいけないし、イスラム教徒だからといって、区別されてはいけない。どんなに暴力的で、混乱した世界だとしても、肌の色や性別によって、差別されてはならないのだ。
 社会の調和を乱す同性愛者は、糾弾されなければならないとか、胎児の段階で、障害をもって生まれることが分かった時点で、中絶しなければならないだとかを、あたりまえのように、主張させてはいけない。そんな社会は窮屈だし、つまらないのだと、声を大きくして言うし、多様性に富んだ社会を、築いていけるのだと、高らかに、訴えかけることはできるはずだ。

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 僕は、人が、死を選ぶことと、社会が、このような社会であることは、はっきりした関係があると、考えてきた。最近の世の中の流れを見ていると、一抹の不安が、よぎる。見ず知らずの他人を尊重したから、世界は、混沌としているのではないか、たとえ、どんなに、他人の権利を、阻害しようと、自分の利益を、優先させなければならないと、多くの人が、考えているように、思うからだ。
 たしかに、一方を認めることが、他方の存在を、脅かすことになるということは、実際に多くある。優先順位をつけて、決断をくだすことは、政治の役目だろう。そんな境界の瀬戸際で、揺れる立場から、脱する日はくるのだろうか。

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移民について(2)、あるいは人間の条件

 本来なら、人には、移動する自由が、確保されるべきだ。だが、私達は、国境という、見えない線で、分断されている。それは、歴史的な文脈のなかで、長い年月をかけて、形成されてきた。個人にとって、なんら関係のないはずなんだけど、ボーダーラインは、大きな顔をして、人の行き来を、強制的に、制限している。
 ここで、僕が、言いたいことは、現在、行使されている権力のすべてを、否定することではもちろんない。権力の何が不要か、あるいは有害であるか、それを、考えることが必要で、これからの先のことを踏まえて、重要な仕事になるのだと思う。

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・異星人がやってきたら
 排他主義が、突き詰めたところにいけば、どんなことが、起きるのだろう。例えば、もし、異星人が、やってきら、どうだろうか。彼らの星に、住み続けることができなくなり、助けを求めてきた場合、よそ者だからといって、はね除けるのだろうか。そんなことしたら、なんて、良識のない人類なんだろうかと、思われやしないか、心配している。あるいは、逆の立場で、地球に、これ以上、住むことができなくなり、他の星に、移住が迫られたとき、その先で、受け入れられるのかどうか。私達は、そんな決断の岐路に、今、たっているのかもしれない。

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 よそ者を、受け入れることが、良いのか、悪いのか。その答えを、見つけることは、どこまでが、自分と、同族なのかの境界を、引く作業に似ている。そして、「家族」とはなにか、「共同体」とはなにか、「国家」とはなにか、さらに大きく言えば、「人間」とはなにかを、問うことになる。人間である条件なんて、そんなものないよと、言うかもしれない。けれど、異星人が、やってくるまでに、何らかの答えは、必要になるだろう。それまでには、時間があるだろうし、あるいは、ないのかもしれない。どちらにしろ、他者とともに生きる秩序をつくるという意志を、忘れてはならない。

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移民について(1)、あるいは可能性の剥奪

 僕らは、人より、できるだけ、楽をして、お金を稼いで、美味しいものを、食べたいとか、相手を蹴落として、競争で、一番になりたいと、自然に考える。それが、誤っているか、正しいかは、別の問題としてだ。それと同じように、移民を、何も制限なく、受け入れることは、治安の悪化につながるし、犯罪を、増加させるかもしれないのだから、入国する人の基準を、厳しくしようと考える人は、当然いるだろう。だが、それが、賢明な決断かといえば、僕は、そうではないと思う。

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・自国ファースト
 アメリカの大統領選挙において、過激な発言で知られるトランプが、民衆の支持を得ている。なぜ彼が、そこまで、熱狂的な後押しを、受けるのだろう。これまでの、政治に対する、不満や鬱憤が、溜まった結果だろうか。彼は、イスラム教の移民を、受け入れないと、うたっている。多くの難民を、受け入れたせいで、テロの実行犯を、引き入れたのだから、私達の安全を守るには、それは当然だと言う。
 彼が掲げる、スローガンのひとつに、「反多様性」がある。はじめから、全ての人の考え方を、尊重するのは、無理だし、それは、幻想にすぎない。国に、受け入れる人も、自分で決めるし、制限もする。イギリスが、EUを離脱したことは、こういった、自国を優先する主義の台頭といわれ、アメリカのトランプ旋風と、つながりがあるという見方もある。

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 これらの状況を踏まえ、世界は、確実に、排他主義へと向かっている。ひらたく、言えば、他人のあり方を、その人の属性によって、決めようとしているのである。それは、人種であったり、性別であったり、国籍によって、人生が、大きく左右され、多くの可能性を、奪うだろう。本当に、自分とは異なる存在を、排斥しようとする姿勢は、正しいのか、もう一度考える必要があるのではないか。次回へ、続きます。

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その場から、降りる

 この世界では、負担を、取り除くことに、集約しすぎてはいないだろうか。僕が、高校の頃から感じている、生きづらさの要因は、そこらへんにあると、考えている。 
 一定の負担を、受けいれるなら、社会の存続自体が、不可能な場合は、どうしても、考えなければならないだろう。しかし、この社会は、そんなものではない。例えば、障害を持つことを、許容しないのだとしたら、全てを自分にとって、都合よく、存在させようとしているのではないかと、批判することができる。

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・ひとつの宣誓
 いつも、私達は、「教育」する。人を殺すなとか、友達を、いじめるなといったことを、有無を言わさず、押し付ける。どうか、この社会で、厄介者にならないように、立派な大人になるようにという、願いをこめて。すべての子どもの意向を、尊重してなされるべきだというのは、少し呑気なことだと思うし、今、僕が、ここで言いたいこととは、少し、違う気がする。
 厄介さを、縮小しようとする社会であること自体が、いつまでも、存在する。他人の手を、借りなければならない者を、肯定しない社会は、生きづらいのだと、言えばいい。生存の様式を、異にしていたとしても、息苦しさを、感じない社会を、僕たちが、構築していけるのだと、言うことができるはずである。

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 ただ、自分にとって、不都合を、なくする、都合のいいようにするというのは、私達の生を、一方で、構成している。手の指の数、身長、肥満。結局は、好みによって、他人のあり方を、決定していると、言うしかないような時がある。これに対して、少なくとも、そうしたことに関わる情報を、知る権利はないのだと、いうことはできる。
 逆にいえば、それらの情報を、拒むことも、できるはずだ。そして、選択をしない考え方が、成り立ちうるのではないか。そもそも、障害が、良いか悪いかを、判断するという土俵に、乗る必要が、ないのだし、そんな馬鹿げた場からは、降りればいいのである。不都合と思われるものを、除去することが、そんなに良いことなのか、もう一度、考える時期なのかもしれない。

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本人の、不在

 自分の子どもが、五体満足で、すこやかに生まれることを、望むのは、差別的なのだろうか。こういった類いの願望は、人間にとって、自然な感情と言える。けれど、自然な感情であるということは、そのまま、正しさに、つながるわけではない。私達が持っている道徳とは、みんなが、幸福に暮らせるようにとか、人権が、守られなければならないとかいう、ものだけれど、単純に適用できない問題が、この社会には存在するのだ。

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・暗黙のルール
 障害をもっていたところで、その人の生が、不幸だなどとは言えない。生き方の「幸」「不幸」は、およそ、他人の言及すべき性質のものではないはずだ。僕が、我慢できないのは、生産力の乏しい者を、社会の厄介者、あってはならない存在として扱い、排除しようとすることだ。働かず、お金を使わない者は、「悪」だと決めつける、暗黙のルールが、設定されているみたいだ。

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 この問題には、なぜか、肝心の本人が、不在なのだ。決定されるときに、その者は、いない。けれど、なぜ、私達は、そういう決定を、行おうとするのかを、問うべきなのだ。人の質の決定を、どう考えるかということが、この時代の、重要な主題なのだ。