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社会の出来事

揺れる、立場

 各地で起こる、テロのニュースが、僕の気分を、少し、落ち込ませている。いろいろな文化や、宗教が、混在している世界で、お互いの価値観を、尊重し合うということは、絵空事なのだろうか。それでも、やはり、異文化を、理解することは、大切だと教わってきたし、それが、正しいのだと思う。問題は、なぜ、我々が、多様性を、尊重しようとする姿勢に、辿り着いたのかだ。

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・つまらないを、遠ざける
 答えは、単純だと思う。人は、いったん、生まれてしまうと、ともかく、生きてしまっている。その命を奪う権利なんて、誰にも、ないからだ。黒人だからといって、射殺されてはいけないし、イスラム教徒だからといって、区別されてはいけない。どんなに暴力的で、混乱した世界だとしても、肌の色や性別によって、差別されてはならないのだ。
 社会の調和を乱す同性愛者は、糾弾されなければならないとか、胎児の段階で、障害をもって生まれることが分かった時点で、中絶しなければならないだとかを、あたりまえのように、主張させてはいけない。そんな社会は窮屈だし、つまらないのだと、声を大きくして言うし、多様性に富んだ社会を、築いていけるのだと、高らかに、訴えかけることはできるはずだ。

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 僕は、人が、死を選ぶことと、社会が、このような社会であることは、はっきりした関係があると、考えてきた。最近の世の中の流れを見ていると、一抹の不安が、よぎる。見ず知らずの他人を尊重したから、世界は、混沌としているのではないか、たとえ、どんなに、他人の権利を、阻害しようと、自分の利益を、優先させなければならないと、多くの人が、考えているように、思うからだ。
 たしかに、一方を認めることが、他方の存在を、脅かすことになるということは、実際に多くある。優先順位をつけて、決断をくだすことは、政治の役目だろう。そんな境界の瀬戸際で、揺れる立場から、脱する日はくるのだろうか。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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