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社会の出来事

相模原障害者施設殺傷事件について(1)

 これまで、障害をもった人について、考えることが、多かったんだけど、それについて、どうして、わざわざ、考えるのとか、身近に、そういう人がいるのとかを、想像する人も、いると思うんだけど、実際は、そうじゃない。たぶん、彼らが、生きやすい社会が、僕にとっても、居心地の良いものなんだと、信じているふしがある。なぜ、そうなのと聞かれても、今は、言葉にできない。きっと、まだ、男性が、権力を握ることが多い今の社会で、女性や、子どもが、いきいきと暮らせるように、目指すことと、似ている気がする。

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・ものごとの本質
 一つの障害者施設で起こった出来事が、ニュースになったとき、それについて、考察することが、必要だと感じた。容疑者の行為が、残虐で、常軌を逸したもので、世間から非難され、凄惨な事件だったと、片付けることは、簡単なのかもしれない。たしかに、ものごとの本質というものは、一般論でしか、語れない場合が、きわめて、多いのだろう。私達は、誰しもが、専門家ではないし、あくまで、漠然としか、語れない。ときには、陳腐でさえあるかもしれない。それでも、一歩先へ進んだ議論が、必要なのではないかと、考えている。

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 障害者は、不幸しか生まないのだと決めつけ、彼らを、殺害してしまうことは、間違いなく、誤った行為であると思うし、偏見に満ちた、考えだと思う。一方で、現代社会において、若くて、自分のことで、忙しい人間が、どれだけ、障がい者の人生について、真剣に考えているのだろうか。(それは、おせっかいの域を、こえないかもしれないけど。)もし、無関心が、事件のうしろに、隠されているとしたら。もしかしたら、殺すまでは、及ばなくても、障害をもったものを、厄介な目で見る気持ちが、人の心の何処かに、存在していたらと、不鮮明ながら、感じている。もちろん、僕も、含めて。次回に続きます。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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