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社会の出来事

移民について(1)、あるいは可能性の剥奪

 僕らは、人より、できるだけ、楽をして、お金を稼いで、美味しいものを、食べたいとか、相手を蹴落として、競争で、一番になりたいと、自然に考える。それが、誤っているか、正しいかは、別の問題としてだ。それと同じように、移民を、何も制限なく、受け入れることは、治安の悪化につながるし、犯罪を、増加させるかもしれないのだから、入国する人の基準を、厳しくしようと考える人は、当然いるだろう。だが、それが、賢明な決断かといえば、僕は、そうではないと思う。

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・自国ファースト
 アメリカの大統領選挙において、過激な発言で知られるトランプが、民衆の支持を得ている。なぜ彼が、そこまで、熱狂的な後押しを、受けるのだろう。これまでの、政治に対する、不満や鬱憤が、溜まった結果だろうか。彼は、イスラム教の移民を、受け入れないと、うたっている。多くの難民を、受け入れたせいで、テロの実行犯を、引き入れたのだから、私達の安全を守るには、それは当然だと言う。
 彼が掲げる、スローガンのひとつに、「反多様性」がある。はじめから、全ての人の考え方を、尊重するのは、無理だし、それは、幻想にすぎない。国に、受け入れる人も、自分で決めるし、制限もする。イギリスが、EUを離脱したことは、こういった、自国を優先する主義の台頭といわれ、アメリカのトランプ旋風と、つながりがあるという見方もある。

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 これらの状況を踏まえ、世界は、確実に、排他主義へと向かっている。ひらたく、言えば、他人のあり方を、その人の属性によって、決めようとしているのである。それは、人種であったり、性別であったり、国籍によって、人生が、大きく左右され、多くの可能性を、奪うだろう。本当に、自分とは異なる存在を、排斥しようとする姿勢は、正しいのか、もう一度考える必要があるのではないか。次回へ、続きます。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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