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社会の出来事

移民について(2)、あるいは人間の条件

 本来なら、人には、移動する自由が、確保されるべきだ。だが、私達は、国境という、見えない線で、分断されている。それは、歴史的な文脈のなかで、長い年月をかけて、形成されてきた。個人にとって、なんら関係のないはずなんだけど、ボーダーラインは、大きな顔をして、人の行き来を、強制的に、制限している。
 ここで、僕が、言いたいことは、現在、行使されている権力のすべてを、否定することではもちろんない。権力の何が不要か、あるいは有害であるか、それを、考えることが必要で、これからの先のことを踏まえて、重要な仕事になるのだと思う。

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・異星人がやってきたら
 排他主義が、突き詰めたところにいけば、どんなことが、起きるのだろう。例えば、もし、異星人が、やってきら、どうだろうか。彼らの星に、住み続けることができなくなり、助けを求めてきた場合、よそ者だからといって、はね除けるのだろうか。そんなことしたら、なんて、良識のない人類なんだろうかと、思われやしないか、心配している。あるいは、逆の立場で、地球に、これ以上、住むことができなくなり、他の星に、移住が迫られたとき、その先で、受け入れられるのかどうか。私達は、そんな決断の岐路に、今、たっているのかもしれない。

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 よそ者を、受け入れることが、良いのか、悪いのか。その答えを、見つけることは、どこまでが、自分と、同族なのかの境界を、引く作業に似ている。そして、「家族」とはなにか、「共同体」とはなにか、「国家」とはなにか、さらに大きく言えば、「人間」とはなにかを、問うことになる。人間である条件なんて、そんなものないよと、言うかもしれない。けれど、異星人が、やってくるまでに、何らかの答えは、必要になるだろう。それまでには、時間があるだろうし、あるいは、ないのかもしれない。どちらにしろ、他者とともに生きる秩序をつくるという意志を、忘れてはならない。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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