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思考

本人の、不在

 自分の子どもが、五体満足で、すこやかに生まれることを、望むのは、差別的なのだろうか。こういった類いの願望は、人間にとって、自然な感情と言える。けれど、自然な感情であるということは、そのまま、正しさに、つながるわけではない。私達が持っている道徳とは、みんなが、幸福に暮らせるようにとか、人権が、守られなければならないとかいう、ものだけれど、単純に適用できない問題が、この社会には存在するのだ。

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・暗黙のルール
 障害をもっていたところで、その人の生が、不幸だなどとは言えない。生き方の「幸」「不幸」は、およそ、他人の言及すべき性質のものではないはずだ。僕が、我慢できないのは、生産力の乏しい者を、社会の厄介者、あってはならない存在として扱い、排除しようとすることだ。働かず、お金を使わない者は、「悪」だと決めつける、暗黙のルールが、設定されているみたいだ。

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 この問題には、なぜか、肝心の本人が、不在なのだ。決定されるときに、その者は、いない。けれど、なぜ、私達は、そういう決定を、行おうとするのかを、問うべきなのだ。人の質の決定を、どう考えるかということが、この時代の、重要な主題なのだ。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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