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異世界

Mrs. GREEN APPLEの「soFt-dRink」。

何回もリピートしたい。

クセになる。

音楽には、ほんの5分のあいだに凝縮された密度の濃いストーリーが展開されている。

小説を読んだり、映画を観たりするのとは、また違う。

でも、たしかに、こことは違う世界に連れていってくれる。

もし世界が複数、存在しているならば、

今、僕がいるこの場所は、いったいどんな風合いを持ちえているのだろう。

ただ、とてつもない大きな社会を目の前にして

自分とはいったい誰なのかを

問い続ける日常は

ある種の牢獄に閉じこめられたようなもんだ。

それでも、無意味な今が、ただ漠然として続いていく。

生きることは、死んでいくことなんだよ。

あるいは、死んでいくことは、生きることだ。

相反する影響を及ぼす言葉は、

今日も雑踏のなかに消えていく。

まるで、青く光る魂みたいに。

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映画レビュー

005 「ポエトリーエンジェル」(2017)

<基本情報>
若手個性派俳優・岡山天音と、モデルとして、女優でも活躍する武田怜奈を主演に起用。
お互いのフレッシュな演技が、作品を盛り上げる。
あまり馴染みのない「詩のボクシング」というスポーツを通じて、若者の成長を鮮やかに描いている。
監督・脚本・編集は、気鋭の飯塚俊光が務める。

 リングにのぼり、自作の詩を読み上げ、観客により強く思いを届けたほうが勝者となるスポーツが、実際にある。僕は、そんな競技を、知らなかった。でも、一度、観てみると、案外興味を引く。映画に登場する各キャラクターが、思いのたけを叫ぶシーンは、どことなく不安定さを持ちながらも、しっかりと最期まで役を演じきる気概が、感じられる。

 人前で、自分が作った文章を声に出して表現するのって、どんな気持ちなんだろう。もちろん、恥ずかしいっていう思いもある。でも、僕らの人生には、ここぞというときに、声を出して主張しなければならない事柄が、存在する。この作品は、その初期衝動をうまく捉えた形だ。

 普段、言えない思いを抱え込んでいる人にはもちろん、観て欲しい。田舎で暮らす青年が、「俺だって、夢をみたいんだよ。」と父親に泣きつくシーンが、胸にささる。あなたが、あたり前に手にしている、可能性や、思い描く夢や理想は、一部の人にとっては、藁をもすがる思いで獲得したいものかもしれない。

 僕は、映画を見終わったあとの余韻が、凄く好きだ。そこには、まだ消化しきれない様々な感情がいりまじる。あのとき放たれた言葉の裏には、実はこんな考えが根底にあるんじゃないだろうかと想像してしまう。でも、この作品は、思ったことを素直に届けることの、崇高さを教えてくれる。夏が始まるこの時分にぴったりな雰囲気を纏った青々しさが、際立つ。

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詩的表現

狂気

真実なんて、ありやしない。

全ては泡のように消え去っていく。

僕には、聞こえる。

「お前なんて、いてもいなくても変わらない。いっそのこと消滅すればいい。」

それは、ただの病気だよと、あなたは言う。

医学的なカテゴライズで、安心しようとする、現代人。

それで、正気に戻れるなら、よしとしよう。

病と健康の境目にいる僕は、どこか冷静だった。

人間は最も愚かな生き物だと、賢者が語る。

だれもが、狂気のさたで、自分は正常だと思い込んでいる。

突然にやってくる虚無感は、

それぞれの命の無価値を証明する。

だから、なにも手に入れなくていい。

地位も、名声も、信用も、

手放してしまえ。

そこから、始まる人生がある。

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詩的表現

沸き上がる感情

表現というものは、とてもあやふやだ。

誰かを傷つけてしまうかもしれない。

その言葉は、今日も波の彼方に沈んでいく。

最果ては、途方もなく遠い。

纏わりつく邪心をはらって、あなたの元へと

飛び込めればいいのに。

曖昧な孤独は、くっきりとこの空間に線を描く。

沸き上がる感情の、出所を伺い知ることができない。

でも、とめどなく流れ出るそれは、

希釈されたガスみたいに

環境を破壊していくみたいだ。

いっそのこと秩序構造さえも、

変えてしまえばいいのに。

社会についてなにか言及しようとしても

僕はすでに社会の中に包括されてしまっている矛盾は

いつも、拭いきれない不安を浮き彫りにする。

未来を予測することなんて不可能なのに

どうしてだれも気付かないんだろう。

静寂があたりを包み込む。

今日も、あたり前のように

夜がやってくる。

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詩的表現

エゴイズム

居場所がない。

でも、涙はでない。

社会不適合者だと、だれかが罵る。

すべてを壊したいなんて思わない。

ただ、ここに居ていいんだという確証がほしい。

それは、エゴイズムなんかじゃない。

テレビのなかで、もっともらしい正論を唱える政治家のほうが

よっぽど利己主義じゃないかと、あなたは思うだろう。

金持ちは、どんどん裕福になり、

貧乏人は、めいいっぱい苦労する。

格差社会と呼ばれて

いったいどれだけの月日が経ったと思っているんだよ。

もう僕らは、走り疲れた。

結局、自己責任という理論で、すべての口をふさぐつもりなんだろう。

名もなき人たちの声を集める時がきた。

どうせ民衆は愚かだと、たかをくくる指導者は

なにを成すべきなのかが、分からなくなっているにちがいない。

もっと、人間が好きになれますようにと、

遠い遠い空にむかって祈る。今までも。そして、これからも。

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映画レビュー

004 「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」(2017)

<基本情報>
監督は、ジャン=マルク・バレ。
演技派で知られるジェイク・ギレンホールを主演に迎える。
原題は、「DEMOLITION」(解体、分解)。
容姿端麗な妻を亡くした男の、心の再生を描いたドラマ。
劇中で使われている、ハートの「Crazy On You」など、音楽の効果も、作品に大きな幅をきかせている。

 突然、家族を亡くしたときの悲しみは、その当事者にしか分からない。そして、それを乗り越えていく手法は、確立されているわけではない。人は、突然訪れた不幸に対して、ただもがく程度のことしかできないのだ。この物語の主人公は、一滴の涙さえ流さない自分に戸惑いながらも、不器用だが、懸命に、起きてしまった事故に向き合おうとする。

 原題にあるように、彼は身の回りのいろんなものを、破壊していく。そうすることによって、心の在り処を見つけようとする。周囲の人は、狂気じみた行為に、怪訝な顔をするのだが、それくらいが、丁度いいと、僕は思っている。大切な人を失ってしまったときくらい、人は不合理になってしまっていい。ずっと、正常でいることの方が、狂っている。それを、この作品が、教えてくれた。

 自分自身を、ゲイだと自覚し始める年頃の少年が、登場する。彼との交流によって、主人公は、素直に生きる術を学んでいく。一目もはばからず音楽にのったり、幸せでいるには笑顔が欠かせないと諭すように、一緒に笑ったりする。たわいもないやりとりが、徐々に、自分の成すべきことを明確にしていく。

 いってみれば、これは、悲しみの感情を、表に出せない人への、あるひとつの答えとも言える。ありとあらゆる感情は、綿密に、心の中に溜まっていく。それを吐き出す術をもたないくらいに、不健康なことはない。「愛は、そこにあった。ただ、それを疎かにしていた」と、気付いていく人間の、清々しと、実直さは、観る人の心をわしづかみにする。

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映画レビュー

003 「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」(2017)

<基本情報>
詩人・最果タヒの同名詩集をもとに製作された、意欲作品。
監督は「舟を編む」の石井裕也が務める。
ヒロインには、映画初主演となる、石橋静河が抜擢された。
彼女の瑞々しい演技が、様々なシーンで輝きを放つ。
石井監督と相性のいい池松壮亮は、つかみどころのない、風変わりな青年を熱演。
現在、同監督による「町田くんの世界」が、公開中。

 日雇い派遣、孤独死、放射能汚染、外国人労働者などの一見、重々しいテーマを、東京の片隅でひっそりと暮らす男女が、心を通わせていく模様と交えて、描き出していく。2人が、徐々に距離を縮めていく過程が、丁寧に描写されている。ひとつひとつの台詞とともに、彼らが抱える感情や、孤独感、都会で生活する虚無感が、観る人の心にゆっくりと刻み込まれていく。

 「嫌な予感がする」と、劇中で彼らは、何度も確認しあう。いったいそれが何を指すのかは、分からない。震災、死、テロリズム、僕らに降り掛かる災難は、間違いなく、この先にあるのだという予期は、案外、間違っていないのかもしれない。でも、この物語は、悲しいままで終わらない。最後には、希望という、しっかりとした形のなかに、昇華されていく。

 どうして、人は、恋愛をするんだろう。悲しみを紛らわすために、くっついたり、離れたりするのは、本当に愚かだと思う。そんなことを言い出せば、まったくの純真無垢な恋なんて、存在しないとあなたは思うかもしれない。でも、べつにそれでいい。正しさや、清らかさだけを追い求める夢追い人は、きっと、そうじゃない人を、排除していくだろう。僕らの心の中の、真っ黒な感情が、誰かを救うこともある。この世界は、複雑で、それ故に、美しい。そんな気がする。

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映画レビュー

002 「これが私の人生設計」(2016)

 これは、イタリアの物語である。海外の作品って、あんまり肌に合わないという人もいると思う。でも、この映画は、自然と腑に落ちたように、僕の心の隙間を埋めてくれた。とあるゲイ男性が、登場するんだけど、そのキャラクターが憎めない設定で、笑いを誘う。自分が、ゲイだからか分からないけど、同性愛者が描かれる作品に興味が惹かれる。

 たぶん、同性愛に限らず、セクシュアリティが僕の人生に大きく影響しているからだ。映画は、ひとつのフィクションに過ぎない。だけど、そこには間違いなく客観的な風刺が、影を忍ばせる。そこから繰り広げられる思考は、観る人の心を、解きほぐすかのように、安心をもたらす。

 主人公は、優秀な建築家なのだが、男社会で結果を残すことに苦労している彼女のひたむきさは、素直に心をうつ。たぶん、この映画を売り出そうとしてターゲットを決めるなら、おなじ悩みをもつキャリア女性になるんだけど、僕は、男性にも観て欲しいと思う。ある意味、女性が活躍できない社会は、反作用として、男らしさの呪縛を背負うことになる。男性が、泣き言をいえば女々しいと言われる社会は、生きにくいと、はっきり語らなければならない。性差別に、立ち向かわなければならないのは、なにも、女性だけではないのだから。

 集合住宅で暮らす少年、少女たちの目の輝きが、印象的だ。再開発案を練る主人公との交流が、微笑ましく描かれている。人が、営みのなかで、あるいは大人になっていく過程で、なにが必要なのかを、浮き彫りにしていく。生きにくいのは、あなたにも責任があるという言論に感化されないストーリーがある。他人のために、誇りをもって一生懸命になる姿に、勇気づけられるのは、間違いない。

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自分のこと

レリヴァント、あるいは僕らの出来事

・善意と悪意
 誰かの善意が、この世界を、輝きのあるものにする。もっと優しくなれたら、あの人のように、心からの笑顔を、他人に向けられるようになるのかなんて、考えてしまう。「ありがとう」という言葉が持つ力は、普遍的にまぶしい。人と人とが織りなす風景が、無限に輝き続ければいい。親切が、空虚にすり替えられるとき、世界は、音もなく、消え去ってしまうだろう。
 どうやら、悪意というものは、共感が共感をうみ、もとあったものからは、想像できないくらいに、増幅していくようだ。この社会に、渦巻く憎しみという感情の行き場は、必然的に弱者に向けられる。インターネット上で飛び交う罵声を鵜呑みにするやつは、馬鹿だと言わんばかりに、過ちをおかした人間に、大きな声で正義を語る。まるで、あなたは、生きる価値がないと諭すように。

   ★    ★    ★

・アイロニー
 高校生の僕は、なんというか不健全だった。健やかな心持ちになるなんてことは、たぶん1年で3回くらいだったし、夜になるたびに、ベッドにくるまっては、希望のない明日がくることを恐れていた。未来なんて、いらないと思ってた。親への感謝なんてものは、微塵もなく、繰り返す日々を、ただ惰性で生きていた。たった一人で、言葉にはできないむず痒い感情と向き合っては、少しでも世界がよくなるように祈っていた。ありったけの皮肉を込めて。

・孤独
 今も思うけど、僕は誰に思いを打ち明けるべきだったんだろう。同性愛を自覚し始めた頃の特有の孤独感を、どう説明したらいいか、僕には皆目、検討がつかない。思春期の不安定な自我を抱え込み、大人への道を進むときに、周りに理解者がいない心細さは、荒野に置き去りにされた子犬のように、ただ震えることくらいしかできない無力さを浮き彫りにする。涙を流すことで救われる毎日にすがる僕は、本当に惨めだった。

   ★     ★     ★ 

 人は、レリヴァント(意味的な関連があるか)な情報や言葉に、心惹かれる。自分のことを分かってくれているなという文章は、その人の心に残りやすい。世の中に溢れるキャッチコピーも、観る人にとって、共感を生み出そうという意図が見え隠れする。ただ、当時ゲイである僕に向けられている情報は、あまりにも乏しかった。同じセクシュアリティの友達を探す方法なんて分からなかった。恋愛について相談できる相手がいれば、本当に生きやすかったと思う。残念ながら、僕らの人生にふりかかる出来事は、楽しいことばかりではない。絶望の淵で生きているかもしれないあなたに、ここに綴る言葉が届けばいい。そう願っている。

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映画レビュー

001 「パーマネント野ばら」(2010)

 例えば、女の子がうずくまって泣いている。少女から大人へと変化する時期の、彼女たちの憂鬱を、僕は、思い知ることはできない。およばぬ場面で、性的な対象として、見られることだって、遭ったかもしれない。ここで、フェミニズムについて、語ろうとは思っていない。ただ、女性の人生において、自分たちの力では、どうすることもできない苦難がある。それに、立ち向かわなければならないことを想像できない社会は、いささか生きにくいのではないか。

 なぜ、涙を流しているのと聞くこと自体、ナンセンスだ。社会で渦巻く憎悪や嫉妬や偏見が、思いもよらず、個人を傷つけてしまう場合がある。言葉にできない思いについて、語らなければ、その傷跡さえ、なきものにされてしまう現状を、変える手だてはあるはずだ。だから、だれかが声をあげるべきなんだと思う。それが、映画としての表現だっだとしても。

 この物語は、海辺の街で営まれる美容室が、舞台となっている。そこに集まる女性たちの恋愛は、決して綺麗ごとだけでは語れない人間味で溢れている。本当の意味での他人を愛するという醜さだったり、愚かさを、細かく描写し、観る人にとって、不思議な共感をうむ。誰かを思い続けなければ、正常を保っていられない彼女は、きっとまた、強くなれる。それを、証明してくれる映画であることは、間違いない。

 まず、邦画と洋画という区別がある。どちらを好むかは、それぞれだ。初めてのレビューで、どの作品にしようか、迷ったんだけど、やっぱり好きな映画にしようと思い、この作品にしました。洋画で観るような、派手なアクションだったり、壮大なスケールの世界観ではないけど、邦画にも優れた力作があるんだと、知って欲しいです。