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詩的表現

オルタナティヴ

いつまでも

そこで

幻想に

つかっていてばいい。

けれど

現実は

刻一刻と

進んでいく。

この先

何十年後の

国の姿を

予測できる者など

存在しない。

でも

ずっと

経済が

成長していくというのは

妄想だ。

だから

僕は

オルタナティヴを模索していく。

企業に守られて

いい思いをする

人間の数は

限られてくるんだから

競争に勝たなくちゃいけない。

だから

勝ちのぼる

努力をしないやつは

底辺で

貧乏暮らしを

していればいい。

資本主義の波にのることが

たったひとつの正解なんだから。

そう考えている奴は

別に好きにすればいい。

好きなだけ

儲ければいい。

自分が生きている時間だけ

思い通りになればいい。

その先のことなんて、

お前らが自分で考えろよ。

そんなんで

いい国になるはずなんてない。

いつから

僕らは

「知性」を

捨ててしまったんだろうか。

もう

なにも考えない大衆の

一人になるのは

ごめんだ。

だから

声を上げろ。

腐りきった世界に

希望を見出せ。

絶望に

負けるな。

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映画レビュー

012 「彼の見つめる先に」(2018)

<基本情報>
「ブラジル映画祭2015」で上映され、3年間の沈黙を経て、2018年、劇場公開された。
2010年の短編映画「今日はひとりで帰りたくない」を、ダニエル・ヒベイロ監督自身が、同じ俳優陣を起用し、長編化した。
盲目の高校生・レオと、幼なじみの女の子・ジョバンナ、転校生の少年・ガブリエルを中心に、若者の多感な日常を、いとけない部分を残しながら、鮮やかに映しだす。

 主人公のレオは、目が見えない。それをからかう同級生がいる。それでも、同じ教室で、みんなと同じように机を並べて勉強するシーンが、印象に残っている。障がいという特性を理由に、子どもたちを分断しない。きっと、ブラジルの教育環境では、はやいうちから、この社会に、多様な属性をもった人間がいることを知ることができる。たぶん、学校とは、本来、そうあるべきなんだということに気付く。

 そして、彼は、転校生のガブリエルと距離を縮めていく。その内容をみるかぎり、この作品は、障がいをテーマにしているだとか、同性愛を主題にしているという、誤解をうむことになる。一度、この作品を観て欲しい。ここで営まれている世界では、両親に愛され、クラスメイトの助けられながら日々を紡ぐどこにでもいる、目が不自由な男の子が、あたり前のように、ごく自然に、少年と恋をする。

 日本にも、同性同士の恋愛を描いたドラマや映画はある。でも、まだ色物扱いを、抜けきれていない。それは、まだ、性の多様な在り方や、LGBTといったセクシュアリティーにたいして、寛容になっていないからだろう。でも、まず、ここで僕ら当事者が、発信しなければいけないのは、この社会で、同じように悲しみ、傷つき、ときには、笑いあって、なんとか日々を乗り越えようとしている事実だけだ。それを、この映画は、教えてくれる。

 それでも、理解が生まれないのなら、適度な距離感を、保てばいい。なにも、みんながみんな、違いを認めあいましょうみたいな考えに、染まることはない。ただ、映画という手法で、同性愛や、障がいを取り入れたものを、世の中にむけて、作ろうとしている表現者がいることが、僕は、嬉しい。たぶん、そうすることで、社会における反感や差別に目を向けたり、新たな気づきがあるからだ。

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favorite song

プリズム

ちゃんと

しなくては

いけない。

いつから

そう思ったのだろう。

もともと

不完全な

僕らが

行き着く先は

たかが

しれている。

なのに

いつか

本当の安心に

包み込まれる日を

願う僕らは

なんて

浅はかなんだろう。

陽炎のなかを

彷徨ううちに

見つけた音楽。

novelbright(ノーベルブライト)の「walking with you」。

正気をなくし

自分を見失ったとき

道しるべのような

君に出会った。

こんな歌のように

まっすぐに

表現できたら

いいのにな。

プリズムの空が

ひろがる。

空気が

研ぎすまされ

呼吸が

楽になる

瞬間が、好きだ。

もしこの先が

いばらの道でも

僕は

歩いていけると思う。

どこかに

属さなければ

病んでいってしまう

人間の本質が

憎い。

社会から排除される感覚は

権力側に

いる人にとって

ちっぽけなものなんだろう。

こんな場所で

だれに届いているかも

わからない言葉を

紡ぎだす僕を

あなたは笑うだろう。

それでもいい。

だれかの

気の迷いに

そっと、寄り添えれば。

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詩的表現

サクリファイス

声にならない

想いがある。

それは、誰かに届けばいい。

けれど、現実は、伝わらない。

人知れず、頬をつたう涙が、

今を生きる空虚を

物語っているみたいだ。

あなたが

知らぬうちに手に入れている

権力や、権威が

いつも、怖かった。

そんなことは、つゆしらず

平然と

この社会の階級を

のぼっていく。

もう、たくさんだ。

勝ち目のないレースに

参加し続けなければならない過酷さを

思い知ればいい。

僕は、サクリファイスなのかもしれない。

もう、すべてに意味を

見出そうとするのは

やめよう。

自己肯定を

無惨に奪っていく

あなたが憎い。

底知れぬ不安は

今日も

夜の闇に消えていく。

この世界が

いつまでも変わらないのは

抑圧された人間なんて

存在しないと思われてるからだよ。

その方が

都合がいいのね。

ただ、ただ

語られぬ

文字にならない

意識の総体が

つもっていく。

今夜は

それを燃やす祭典だ。

だから、ひとときの間、

猶予を贈答する。

眠れない

きみに向けて。

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社会の出来事 自分のこと

3つの命

 朽ち果てていく定めのなかで、どう足掻いても、心のゆきどころが見つからない。ただ、社会化を目的に教育された僕たちが、誰からも侵されない自由を手に入れるなんて不可能なのだ。もし、落ち着ける場所があるならば、それはきっと深い眠りの間に存在する、薄暗い闇と悲しみが入り交じった、荒れ果てた宇宙のなかだ。

   ★    ★    ★

・いびつ
 「知性」という怪物が、体の奥の方を、刺激する。いつの時代にも、愚かな民衆はいた。移りゆく時間は、一向に止まる気配はない。ある前提条件が前置きされた状況で、たくさんの人間が選択してきた制度は、歪だ。整合性のとれたものを求めて人間が、試行錯誤してきたならば、その所業は、失敗に終わったといっても過言ではない。

・覚悟をみせろ
 僕はここで、安倍政権批判をしたい訳じゃない。でも、目に余る偏向報道について、何かを言わなければいけない焦燥感が拭えない。ニュートラルな立場での言論は、誰かの熱狂的な支持を得ないかもしれない。でも、メディアの果たす役割を考えたとき、名もなき人々を傷つける言葉を選んではいけない。権力側に、すり寄るんじゃなくて、公平に批判を展開しなければならない。僕の怒りの発生源を、突き止める作業は、困難を極める。きっと、そこで暮らす市民は、世の中の空気を、敏感に読み取っている。利権に群がる連中がいることを知っているし、自己の保身に走る汚い大人がいることも知っている。もし、良識に反した意見を押し通すなら、その覚悟を見せろ。自分の思想に、賛同してくれる人にだけ向けた言葉はいらない。

・覚醒
 僕は、この世界に、3度、生まれた。1回目は、母親のお腹から産まれおち、産声を上げたとき。2回目は、自分のセクシュアリティーを自覚したとき。3回目は、父親が死んだときだ。それぞれの節目で、覚醒とも呼べる、なにか研ぎすまされた知覚を覚える。どうしようもない不条理や、生まれた国によって違う待遇、多様な文化、人間の尊厳、そんなものを、知ったんだと思う。社会における、自分の階級、居場所、立場を、確立していくなかで、弱者と呼ばれる層が存在することから、けっして目を逸らしたくなかった。いつだって心のひだに届くのは、どん底にいても、けっして希望をすてない人間の姿なのだ。それを、笑って馬鹿にする行為を、僕は許さない。

    ★    ★    ★

 自分が、どう格付けされているのかを執拗に気にする人が一定数いる。日本は、韓国より格上だ、その事実を脅かすものには攻撃しなければならない。でも、僕は思う。自分のよりどころは、たぶん、自分にしかない。死にむかっていく過程で、思い知らされるのは、孤独という感情が、あまりにも僕らを、覆っていることだ。たぶん、死ぬ時も、一人だと思う。想像だけど。誰かと一緒に、死ぬことはできない。光に、すべてを期待する時代は、終わった。命の店じまいにむけて、淡々と生きるのだ。

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映画レビュー

011 「しゃぼん玉」(2017)

<基本情報>
テレビドラマ「相棒」で知られる東伸児が、劇場映画で初めての監督を務める。
直木賞作家に名を連ねる、乃南アサのベストセラー小説を映画化。
社会から孤立している青年を林遣都が、田舎に住む老婆を市原悦子が、それぞれ演じる。

 道を踏み外し、非行に走る人がいる。そんなやつらは、どうしようもないんだから、社会からそそくさと排除されてしかるべきだという意見は、あまりにも、稚拙だ。悪に手を染めることでしか、生きていく手段がなかったとき、迷惑をかけず一人で死んでいくべきだったという理論は、この世界をどうしようもなく、息苦しくする。

 宮崎県の自然あふれる景色が、観るものを癒す。美しい映像なので、実際に訪れたい気持ちになる。たぶん荒んだ心を回復するには、緑に囲まれた場所で、ゆっくり静養することが、必要なのかもしれない。主人公の青年・伊豆見もまた、温かい田舎の人々にふれ、少しずつ更生していく。

 村で、一人で暮らすおばあちゃん(スマ)の台詞が、印象的。「坊はええ子」という言葉が、荒れ果てた伊豆見に染み渡っていくのが、分かる。誰にだって、褒められたい時がある。でも、世間というものは、冷たいのが常だ。この物語は、優しい素直な村人たちが、僕らに、生きる価値があるというあたりまえのことを、教えてくれる。

 居場所のない哀れみは、いつか焦燥にかわる。あなたは、そこにいてもいいんだよという、簡単な言葉が、届かない。必要とされることの難しさ、あるいは、人生が行き詰まるジレンマが、行く手を阻む。もう、どこにも行くあてのない人間が、豊かな精神性を帯びていく姿は、王道なストーリーかもしれないけど、胸をうつ。

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favorite song

トレース

街が、正常に

息をしている。

その日の仕事を終え、

家路につく人々。

夕方の空は、

少し赤づいている。

その裏側で、

生産性の乏しい人間は

排除される。

そんな社会は

とても、生きにくい。

結局のところ

あなたは

さも自分が優れた生き物だと

言いたいだけではないか。

沈んだ心を

浮かばせる術を知らない僕は、

今日も、一人荒野に

想いのたけを叫ぶ。

まるで、文章を綴るように。

せめて耳にする音楽だけは

優しいものがいい。

清竜人の「ヘルプミーヘルプミーヘルプミー」。

底知れぬ不安がある。

それを打ち消す材料は

たぶん、どこにもない。

だれかの人格を

トレースしただけの自分。

オリジナリティーなんて、ない。

飛んでくる

意地悪な言葉を、

悪いのは、すべて自分なんだと

背負い込む。

さよならを決めた日から

始まる人生がある。

安定を欲しがる病が

つまらない毎日を連れて来る。

そんな日常を捨て、

自由を手に入れろ。

雑音のなかに

混じる真実の言葉。

僕には、聞こえる。

だから大丈夫だ。

ほんのすこしの期待を胸に

明日を待つ。

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映画レビュー

010 「ストーンウォール」(2016)

<基本情報>
1969年、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン 」で、店に立ち会った人々と、警察が衝突する。
それを、発端に巻き起こった同性愛者の権利運動は、後に「ストーンウォールの反乱」と呼ばれる。
「インデペンデンス・デイ」シリーズのローランド・エメリッヒ監督が、実話をもとに描く。
主人公ダニー役を、ジェレミー・アーバインが演じる。

 LGBTを題材にした映画である。当事者の僕は、そこを入り口に、観てみようという気になる。でも、たくさんの人に手にとってもらいたい。差別や偏見は、いけないと頭では分かっていても、どうしても、心の弱いところから、生まれてしまう。何も分からない、理解できない、自分とは異なる相手にたいして、少し怪訝な目でみてしまう。だから、僕たちは、内にひめた他人にたいする暴力性を、常に覚えておかなければならない。それは、なにもセクシャル・マイノリティーの問題に、かかわらずだ。

 ゲイであることが、苦しかったりすることがある。正直にいえば。その理由は、とても、くだらない。たまたま、目に映る他のひとが、とても幸せそうにみえて、自分だけが、うまく社会にとけ込めないなという劣等感。よく、それは、セクシャリティに関わらず、誰でもそんな時期は、あるという。でも、僕は、うまく生きれないことを、自分の性的指向が、他の人と違うからだと言ってもいいと思う。それくらいの、逃げ道は、用意されてしかるべきだ。後になって、やっぱ関係なかったなというくらいが、ちょうどいい。

 美しい容姿をしたレイは、体を売って暮らしている。その職業を選ぶのは、彼ら自身なのだから、そんな人生を送るのは、あなたに責任があるという言論は、聞いていてどこか虚しい。人間は、生きていかなければならない。苦境にたたされた人が、お金のために売春をする。それを、私達には関係のないことだと切り捨てるのは、やめてほしい。なぜ僕らが、この複雑な社会で、それぞれの立場で、平等ではない生い立ちで、文句のひとつも言えないほど、圧迫されているのかを想像するべきだ。

 当時、反乱をおこした無名の人々は、たぶん勇気がいっただろう。そんな瞬間の場面が積み重なり、今という時代が成立していることを、この作品は、教えてくれる。政治的な主張をするのに、暴力はいらない。だけど、現実は、ちがう。暴動になったり、怪我をする人だっている。それでも、忘れてはいけないのは、それぞれの意志に宿る信念だ。カオスが導く世界が、どこへ向かうのかは、誰にもわからない。

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映画レビュー

009 「トマトのしずく」(2017)

<基本情報>
2012年に、すでに完成されていたが、公開が見送られていた。
「お蔵出し映画祭2015」で、グランプリと観客賞を受賞し、ようやく2017年1月に解禁された。
主演に、小西真奈美を迎え、相手役に吉沢悠が抜擢されている。
監督は「誘拐ラプソディー」の榊英雄が務める。

 誰にだって、相手との距離と取り方で、うまくいかないことがある。近しい存在であればあるほど、複雑な問題になっていく。家族という関係性は、その言葉では、簡単に言い表すことのできない、やっかいなものだ。同じ月日を、共有してきたからこそ、分かることだってあるし、分からないこともある。ささいのことがきっかけで、許すことができなかったり、意地になって仲直りする機会を見過ごしてしまう。

 この物語は、父と娘の行き違いが、軸となって展開される。疎遠になっていた2人が、娘の入籍を機に、お互いの存在を改め直していく。その過程が、言葉少なめに、丁寧に描写されている。不器用な性格だからこそ、思っている気持ちを素直に、口にできない。そのもどかしさは、僕らの人生に、どうしようもなく、降り注ぐ。いびつなまでの感情は、行き場を失う。

 幸せの形は、人それぞれだと思う。大学をでる、就職する、結婚する、子どもを授かる、そのどれもが、どんなに努力をしても、果たせない夢に終わることだってある。けれど、それで何もかもを、諦めてしまうことはない。ときには、自分の弱さが嫌になることだってある。だけど、それでも、幸せになろうと翻弄する姿が、僕は、好きだ。

 とくに激しい起伏があったり、山場が用意されているわけではない。そういった意味では、観る人を選ぶ作品かもしれない。でも、観終わったあとに、ほっこり幸せを感じられるつくりになっている。家庭菜園で、一生懸命、栽培されたトマトの色が、赤々しく、瑞々しい。それは、きっとこれからの、親子の関係をほぐす、役目となる。そして、愛を伝える意味を教えてくれる。

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詩的表現

すべて

人生が楽しくなる

一歩、手前が

本当の幸せなのかもしれない。

移り変わっていくのが

常だ。

一度、幸福なんてものに

慣れてしまえば

後は、ただ惰性の日々が

続いていく。

頭の中を

とめどなく、流れる思考が

爆発する。

なにもかもが

消費されていく。

変わりは

いくらでも

きくのだから

お前なんて

必要ないという

批判だけが

はっきり聞こえる。

僕という人格を

他の誰かに生きて欲しい。

そのとき、初めて

理解がうまれるだろう。

だけど

そのときは、絶対に訪れない。

誰も他の人の、人生を

とって代われないからだ。

それが、この世界の、すべてだ。

あるだけの力で

生きていく。

嘘のない

かっこをつけない

不器用な

ありのままの自分で。

心地のいい夜風が

夏の終わりを告げる。

季節が、巡る。

ただ、それだけが、分かる。