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クロノロジカルな時間

 僕は、男だ。女じゃない。べつに、それを、選んだわけじゃないけど。戦争に巻込まれたことはない。そんな時代に生まれたことを、幸福に感じるのもいいだろう。僕は、同性愛者だ。それを、選択した訳ではない。なのに、なぜ、こんなにも僕の人生を深くえぐるように、地響きをたてるんだろう。ありとあらゆる因果のなかに放り込まれた僕は、ここで、必死に生きることを、強制されたようなもんだ。このはかない命の無意味さは、どこまでいっても、とどまることを知らない。

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・共感
 理解できないことだらけの世界において、とある階級に産み落とされた奇跡を、手放すのは、たぶん違う。そこが、どんなに苦しい場所でも。嫌なら逃げればいい。基本的に、どんな事柄にも、意味なんてない。お互いに、反発しあっても、なぜ、存在するのかという迷いに襲われても、途方にくれることはないだろう。毎日を、必死で生きぬくしんどさは、少なからず、共感できる部分があるはずだ。

・想像力の欠如
 たとえば、若い女であることのしんどさを、あなたは、想像したことがあるかと、問い続けなければならない。すがるものがなく、貧困に苛まれるシングルマザーのいらだちを、ののしりを、聞いたことがあるだろうか。なぜ、こんなにも想像がゆきとどかないんだろうと嘆く日常は、音を立てることなく、静寂に包まれている。そんな人生を選んだあなたに、責任があると言うかもしれない。「自己責任」という名の理論のもとで、構築される偏見は、名もなき人々を、傷つけている。

・しわよせが、いく
 ようは、僕がここで言いたいことは、自分からすすんでおこなったことの結果を、どのくらい引き受けなければならないかということだ。しわよせは、いつも弱者やマイノリティーに降り掛かり、引き受けなくてもよいような責任を、問われる状況があるという事実から、目を伏せてはいけない気がする。

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 人が、何かを語るとき、できるだけ、順序立てて説明しようとする。でも、そんな努力もむなしく実際は、印象の軽重に、関心が向けらることが、多くある。クロノロジカルな時間が、一定しないことを、どう読みとるベきだろう。社会構造や制度の歴史を含んだもののなかに存在する、多様で、流動的な事実から浮かび上がる感情を、無視して、僕らは、世界を理解することはできない。

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貧困は、だれの問題か

 都会の喧騒のなかに、なにかしらの真実が、含まれているなら、僕らは、それらをつかみ取るために、敷かれたレールに沿って、歩いていくしかない。でも、仮に、町に輝くイルミネーションが、まったくの空虚だとしたら、それはもう、歩くのをやめ、いったん腰をおろし、瞑想にふけるのもいいだろう。結局のところ、僕たちは、行き場のない人生の放浪者に、過ぎない。

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・生きるためのお金
 金持ちになりたいと、皆が言う。じゃあ、多額の金を手にして、一体何をしたいのだという問いかけに、困る。もしかしたら、本心はただ、働かずに、生活できる基盤が欲しいだけなのかもしれない。やりたくない仕事に、人生を捧げる人は、かっこわるいみたいな言論はさておき、僕だって、食っていかなきゃならないし、生活していかなきゃならないし、生きていくには金が、必要なんだから、働く。ストレスが溜まる。息抜きをする。また働く。緊張とリラックスの連続。そんな暮らしは、なんだかんだいって、結構、きつい気がする。

・ドミナント・ストーリーに潜む闇
 名をもたぬ者の語りを、一旦、自分のなかに収め、その後のアウトプットの際、一般化やラベリングが、必要になるときがある。それが、間違っているか、正しいかは別として、その行為そのものが、暴力であると、僕は思う。聞き手の都合のいいように語りを解釈し、再構築する思考は、一見、まともにみえて危うい。たとえば、差別する意識や、物語そのものを「ドミナント・ストーリー」と呼ぶ。そこに潜む偏見や、他者を忌避する心構えは、語りの中に存在する正しさに、色眼鏡をかけてしまうことになりかねない。あるいは、ゲイ・コミュニティー内で理想化される、解放の言論にも、少なからず、似たような闇が、存在する。僕たちは、何が語られているかを聞くのではなく、いかにして、語られているかに、注視するべきだ。もちろん、戦争の歴史にしかり、部落差別についてだったり、女性の権利運動なんかについても。

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 貧困が、社会問題として捉えられるのは、時代背景や、不条理な都合によって、個人の意志に反して、困窮状態に陥っていると、みなしているからだ。だから、どうにかしようという話になる。だけど、仮に野宿者が、公園にテントをはって暮らすのは、権利だと主張したとしよう。自ら進んで、野宿しているのだと、彼らは言う。だとしたら、そこにはもう、社会の問題としてではなく、個人の責任だけが、残ってしまう。
 言うまでもなく、僕らの住む社会には、肌の色、セクシャリティー、宗教など、いろいろな属性によって、いわれのない不利益を被っている人たちが、いる。それを、改善するために、本当に必要な分析の方法を、大胆に、かつ、繊細に選びとっていくしかないようだ。

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リアルの空洞化

 生まれるに前に、もうすでに、ルールはそこにあった。グローバル化する経済の前に、個人のなす力は、もはや無力だ。社会にとけ込もうと努める姿勢は、認めようと、誰かが言う。でも、そんな口車には、もうのせられない。資本主義が席巻する世の中に、風穴をあけようとすることは、現代に生きる者に課せられた、使命なのだろうか。そんな役割は、いっそのこと放棄したいのに、なかなか、突破口をみいだせずに、もがき苦しんでいる。

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・同時並行
 世間を賑わす出来事は、大抵、誰かの不倫であり、不祥事だ。分かりやすい構図で、人生を、転落していく人を、あざけ笑うように、清閑している僕らは、なんだか滑稽だ。テレビの中で起きることが、すべてだという思い込みは、陳腐にみえる。あるいは、テレビで取り上げられない事象のなかに、真実が、見え隠れしていると言ってもいい。世界のあちこちで紛争は、起きているし、毎日、カーテンをあけて日光を浴びる、清々しい朝を迎えるのと同時に、不条理に、人が死んでいる。

・義務に値するもの
 中東情勢を伝える番組は、極わずかだし、取り上げられるとしても、ニュースの中の数秒で終わる。だから、危険だと分かっていても、現地に行くジャーナリストは、必要だと思う。そんな遠い国で起こることなんて、気にならないというかもしれない。そう考えれば、楽に生きられるだろう。でも、自国の情勢が穏やかだから、他の国なんて、関係ないというのは、冷徹な態度と、言わざるえない。少なからず、少しでも、世界を良くしようと努力することは、義務に、値するだろう。

   ★    ★    ★

 テレビを見るだけで、世界を、理解できるというのは、はったりだ。そこにあるべき真実が、すっぽり、抜け落ちている現象を、「リアルの空洞化」と、僕は、呼んでいる。インターネットの発達で、個人が、メディアになれる今の社会において、世相をあらわす記号ばかりが、増えていく。有益な情報が、世界を補填していく。何を、しても、響かず、リアリティーが、無情にもすり抜けていく。生きている実感が、ただ欲しいだけなのに、世知辛い世の中の冷酷な態度は、危険に見るべきだと思う。他人への不寛容は、自分を苦しめることになることを、これっぽっちも分かっていないのは、愚の骨頂だ。

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僕の”未来への”思考(2)、あるいはカタストロフについて

 大切な人の死に、何度立ち会えば、僕らは、なにげない日常の輝きを、かみしめることができるんだろう。もう年の瀬が近いというのに、砂粒のように、こぼれ落ちていくみたいに流れる時間が、ただただ過ぎていく。

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・資本主義ゲーム
 「貿易戦争」という言葉を、ニュースで耳にする。そのとき、なにか分からないけど、”戦争”という言葉を、むやみに使うのは、やめたほうがいいんじゃないかと思った。大国としての威厳を保つことが、そこで暮らす人々の生活より、大事な訳がない。ある程度の豊かさは、必要だと思う。でも、資本主義のゲームに、勝ち続けることを、国家の目的にするのは、間違っている。じゃあ、これから増えていく高齢者を、どうやって支えていくのかと、批判が起きるだろう。

・先のみえない不安
 たしかに、かつてのソニーやトヨタのような、世界的企業がたくさんできて、多くの雇用を生み出すことは、僕らにとって、好都合だ。でも、技術の進歩や、AIの発達によって、必要な労働者は、減少するだろうし、本当に、人が必要な業種は、外国人労働者に任せればいいじゃんってなるだろう。そうなれば、なんのとりえもない、専門的知識もない国内労働者の先行きは、不安でしかない。

・過去から学ぶ
 でも、僕は、案外、単純に考えている。金を持ってるやつが、税金を納めて、企業は、労働者に還元して、個人が消費していけば、経済は回っていくんじゃないかと思う。戦争が起きれば、景気がよくなるらしいけど、そこまでして、マネーゲームの勝ち組になりたい願望を持ち続けるほど、僕らは、愚かではないはずだ。大戦の前から、”戦争”はひとつの論理的な可能性であり、現実には起きそうにないことと認識していたにもかかわらず、紛争が勃発してしまった歴史を、忘れてはならない。

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 3.11以降、原発の安全神話は崩壊したといっていい。もう、原発事故は起きない平穏な日常が続いていたときには、戻れない。僕らは、現実のカタストロフ(破局)に直面し、本当は存在していた、わずかな潜在性を、目の当たりにした。人間は、過去から学ぶことができる知性に富んでいるはずだ。資本主義にしかり、原子力発電にしかり、必ずしも、それしかないということはない。代替えを見つけることは、容易くはないけど、ゼロではないと、僕は思う。

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僕の思考(1)、あるいはルサンチマンについて

 死んでしまった者への思いは、ただ、募るばかりだ。たまに、夢に出てくる死者の実像は、年をとることなく、現実の僕だけが、どんどん、老いていく。

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・複雑化する現代
 日本は、比較的、はやくから資本主義のシステムに順応していく。西洋を起源とする資本主義が、遠い島国で、これほどの経済体制を、構築できたのかを議論することは、たぶん価値がある。世界が工業化していく過程で、日本人が、いちはやくニーズを読み取り、まさに空気を読み、生産性を、突き詰めてきた。いまは、世俗化が進み、宗教を遠ざける人々。無心論的な考えと、神を信じる信仰深い宗教との、対立構図は、分かりやすい。でもはたして、世界情勢は、そんなに、分かりやすくなっているのかどうか。そこに現代を紐解く、肝がある気がする。

・日本人らしさ
 12月には、イエス・キリストの生誕を祝い、初詣には、神社に行く。そして、仮装をして盛り上がるハロウィンが、定着しつつある。まさに、良いとこどりをする僕らの、日本人を、日本人たらしめるものは何なんだろう。たぶん、そんなものはない。ただ、グローバル経済が進む社会で、資本主義の神を、信じているだけなのかもしれない。

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 イスラム原理主義者が、世俗とはかけ離れているという見方がある。でも、それは、間違いである。彼らは、むしろ資本主義的な価値観に、完全に内在している。だから、資本主義の世界の成功者である、ヨーロッパやアメリカに、ルサンチマンを抱いている。でも、だからと言って、テロリズムを、肯定しているわけではない。僕が、ここで言いたいのは、人権の理念の支持者にみえるデモに参加する民衆も、じつは、宗教を、無意識に信仰している。つまり、自分が批判している敵の属性を、自分自身に帯びているということだ。次回に、続きます。

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ニヒリズムとアイデンティタリアニズム

「核実験も軍縮もベルリン問題も、半熟卵や焼き林檎や乾葡萄入りパンなどと一緒に論じるべきなのだ。」

 とある小説の一節が僕に、途方もない悲しみと、そこの尽きない想像を、呼び覚ました。社会という枠組みに割り当てられた思考でしか、物事を、考えることができないならば、それはもう、スケールの小ささを、露呈しているにすぎない。宇宙からしてみたら、頭を悩ますどんなに大きな問題も、朝食のメニューを考えることと、じつは、なにも変わらない。
 今朝、目覚めてすぐ、ひげを剃る中年男性、そのとき、そこから離れた下水道で工事に勤しむ作業員、車の下敷きになる野良猫、一方、出勤前に電車の中で化粧をなおすきらびやかな女性….この奇跡的な関連は、例えば、秋風が吹く少し肌寒い早朝に、誰にも気づかれずに、こっそり、あちこちで起きている。

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・嘘を、はがしていく
 戦争の歴史をみれば、分かる。僕たちは元来、暴力的な存在であり、これからも、暴力的な存在であり続けるということへの、人間としての、深い覚悟が、必要だ。向こうから、けしかけてきたんだから、こっちも、やり返すのは、当たり前だという短絡的なものさしは、いらない。本物の自分というものが、いるのかどうか分からないけど、悲劇を避ける方法は、自らを包み込む嘘をはがし、つらい真実と向き合う決意に満ちた、気概だ。

・どう、ありたいか
 インターネットが世界を覆い尽くしている。いままで、僕らが想定していた常識が、通じない。ひらいていく格差。不安と憎悪がふくれあがる民衆。居場所を見つけられない若者。孤立する老人。そろそろ、永遠に落ち着ける居場所がないことに、慣れなければならない。自由を尊重しようとし、望んでか、望んでないかは、分からずとも、こういう現代ができてしまった。結局、いま問われているのは、これからをどう生きるか、どんな人間であるかだけなのだ。

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 ニヒリズムに、陥る必要ない。確かに、過去を振り返れば、そうならずにはいられない現実があった。ナチスの強制収容所でおきた悲劇でしかり、横行して見て見ぬ振りになったジェノサイドしかり。たしかに、過去の年月によって、僕らは冷静になった。いまは、誰しもがグローバル経済下におけるリスクにさらされている。
 アイデンティタリアニズムという思想が、台頭しつつある。これは、自国・自民族の文化や習慣を守って生活する移民を、切り捨てることを意味する。なぜ、こうなるのか。アイデンティティーの問題を、地球レベルに引き上げる作業に、難航しているのだ。無理やりに、経済を通して、世界を一つにしようとする、ひずみが生じている。

 存在はいつも、言葉より決定的だ。畢竟するに、どんなに言葉が純粋でも、説得力があるのは、他人の模範であるのだと、僕は思う。必要ならば、歌えばいいし、映画になればいいし、小説にして伝わればいい。でも、人間の衝動を突き動かすのは、いつでも、他者の存在だ。

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静謐なひととき

 季節の移り変わりを意味する静寂によって、あるいは、その美しさによって、僕の感覚は、研ぎすまされる。あいまいな、いつまでたっても安定しない、たよりなく揺れ動く自我が、どこまでいっても出口のない迷路を、さまよっている。それは、大人になりきれない、魂の叫びを帯びている。いつになれば、不完全という枠組みを越えて、卓越した精神を、手に入れることができるのだろう。迷いがひしめく夜に、書き綴る文章は、どこか危なっかしい。

    ★    ★    ★

・浄化
 これまでに蓄積された毒素は、誰かの手によって、浄化されなければならないと、考えるのは、危険だろうか。そもそも、毒づいた言論なんて、そこらかしこの落ちているじゃないかというかもしれない。でも、僕らは、そのひとつひとつを、丁寧に、すくい上げて、全力の闘魂で、追い返さねばならない。それが、アカデミックな世界に課せられた使命だと思うし、一人で、うずくまって、泣くことしかできない彼らが、すこしでも、生きやすい世界を獲得する、鍵になるのだ。

・死者の声
 戦争の歴史を紐解くとき、それは、すでに誰かの視点が、紛れ込んでいる。完全な中立や、公平で偏りのない思想なんて、ありやしない。じゃあ、僕らは、誰から過去に起きたことを、学べばいいのか。そこで諦めてしまえば、いっそ楽なのかもしれない。でも、時空の狭間を越えて、炎の戦禍のなかで、死んでいった者たちの声が、なりやまない。

   ★   ★   ★

 すべての人間は、時と場合によって、ありとあらゆる残虐行為を、行使しうるという真理を、知らしめる必要がある。もう、こんな時代に、戦争なんて起きる訳がないよ、ましてや、ファシズムなんて流行らないと、思考停止することで、世の中から暴力が消えるなら、それで構わない。だけど、現実は違う。テレビのむこうで活躍する、オリンピックの選手の母国が行う空爆で、人が死んだりする。
 もう静謐なひとときを送る時代が、来たんだと、歴史の道しるべが語る。なにも、過去への執着を、強調したいわけじゃない。これまでより、存在感を強めるテロリズム。そんな暴力なんて、目新しくもなんともないと、一蹴する勇気が試されている。そこで、はじめて、歴史は、死んだ人間を離れて、今を生きる僕たちのものとなる。

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茘枝(ライチー)の皮

 どうして、こんなにも、息苦しくて、生きづらくて、決して居心地のいいものではない場所で、だれも認めてはくれない我慢を、強いられているのだろう。別に、理解して欲しいなんて思ってない。ただ、成熟(してるのか?)している社会で、たぶん、一昔前のような勢いはない、経済が伸び悩んでいる状況において、気持ちよく生きているやつって、既得権益に保護された世代だ。そんな奴らは、自分とは利害の関係ない人権論なんかに、耳を傾けようとはしない。

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・疼くもの
 自由貿易に賛成な人たちが、人が国境を越えてやって来ることには、反対だったりする。わけがわからない。でも、考えてみよう。たぶん、どんな判断にも、損得勘定がつきまとう人たちは、こうすれば少しでも、社会が、良い方に変化していくんじゃないかを考えない。別に、それが、悪いといいたいんじゃない。誰だって、損をするのは、いやだ。でも、それじゃ、だれが僕の中で疼く、良心というか、道徳というか、モラルみたいものに、向き合ってくれるのか。今日も、いうまでもなく、高価で買えない薬をもらえず、病気で人が、どんどん死んでいる。

・人口について
 人間が増えると、地球環境に悪いんだから、減ればいいという人が、いる。それなのに、日本では、少子高齢化で、働き手が減るし、経済にも悪影響だとされ、人口の減少を、防ごうとしている。どちらにしろ、人口を操作しようとすることは、僕は、野蛮だと思う。自然の営みに、任せればいい。子どもが、たくさん欲しい人は、そうしたらいいし、逆に、少ないなら、少ないなりに、いいこともある。たしかに、高齢者を、あるいは、かれらを含めた社会というものを、若者が、支えなければならない。それは、そうだ。だけど、それに、平然と対処できる社会を作れないほどに、僕たちは、愚かなのか。それを問いたい。

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 無垢で、純真な、てのひらが、頬に触れる。氷のような冷たい皮膚から、儚さが伝わる。僕の身体を流れる黒い血に、にている、甘酸っぱい果実の皮をめくり、その裏側をみたい衝動に、駆られる。茘枝(ライチー)の皮を、はがしながら、夏のむせかえる緑のにおいを、鼻にふくませて、次の季節を、待ちたい。

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逡巡

 内輪で持ち上がる三角関係や、カップルの痴話喧嘩、TVドラマやワイドショーの中で繰り返される、陳腐なトラブルやゴシップ。それをくだらない、関係ないと信じていた頃が、あった。それはやや、傲慢であったかもしれない。今になって、自分の内側に膨れ上がる感情の激しさに、戸惑いを隠せない。

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・噛み砕けない事実
 「死は、生のひとつだ。」と、小説の一節が語る。たしかにそうだと、ふと考え込む。僕たちは、数ある選択肢を、慎重に選んで、あるいは選ばずとも、たまたま、今という場所にいる。そして、その中で、死を選ぶ人がいることを、多くの人が知っている。なにも、自殺を、肯定したいわけではない。そうでなくても、不条理な死は、いくらでもある。もっと、生きたくても願わなかった人生がある。でも、やっぱり、死を選ぶことも、「生きる」ことの選択肢の一つでないかという事実を、噛み砕けないでいる。消滅によって、成就できる生命があっても良いじゃないかという思考が、僕の中を巡る。

・むごい世界
 みんながみんな、学校である程度、均等な教育を受けているはずなのに、できあがる人間に、どうしてこうも、違いがあるのかを考えたことがある。違いはあって、あたりまえだし、それで良いというのは、少し呑気だと思う。遺伝子やら、DNAがという話をしたいんじゃない。目の前に広がる社会の仕組みの嘘を、暴くなんていう、たいそれたことは、できないけど、少なくとも、何が何でも正しいとされている中にある矛盾を、追求していかないと、ずっとこのままが続いていく。それは、なんていったらいいか分からないけど、結構むごいことだ。

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 悲劇とういのは、他人から見ると、喜劇だというけれど、その真ん中にいるひとにとってみれば、それはそれは、重苦しい試練であって、生きるか死ぬかの闘いだ。悲しみの渦中では、分からないことがある。起こること全てに意味があって、それらが愛おしく感じるなんてことは、きっと、もっと時間が経過したときだ。まだ、僕らの逡巡に、迷いに、決められないなにかに、胸が焼けそうになる。きっと、朝になれば、そんなこともつゆ知らず、新しい一日が始まる。

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恩の流れ

 僕らの歴史を、ちょっとでも振り返れば、残虐と恨みは、無尽蔵に見出される。それらの類いの感情は、簡単に、すべてを、呑み込み尽くす。ときに暴発した情念は、暴力となって、他人に襲いかかる。言葉や芸術でも、処理できない、なにかをもてあましながら、人間は、これまでを、どうにか過ごしてきたといって、過言ではない。
 じゃあどうしたら、他者を傷つけず、おとしどころを見つければよいのか。いじめは悪だ。ない方がよい。なくしなさい、なくした方がよいと語って、攻撃性がなくなるのであれば、話は簡単で、倫理学も、法律も、いらなくなる。言葉で、なくすことはできない。いくら言葉を積み重ねても。だからといって、言葉は無力であると、短絡的に考えるのは、愚かだと思う。

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・ちっぽけな存在
 今まで築いてきた文明を含め、人間という個体の生成は、ひとつの奇跡だ。たとえば、神様が、存在したとして、かれは、果たして予め、現在の世界を、計画していたのかどうかは、疑問だ。たぶん、この世界は、もうとっくに神様の範疇をこえ、未曾有の未来へと、向かっているのではないだろうか。地上で暮らす僕たちは、もう軋轢や差別に、耐えられないでいる。途方にくれて、ただ涙を流しながら、祈るくらいしか、術を持たない存在なんて、とてもちっぽけだ。僕は、そう思う。
 もちろん、無数にある身の回りの奇跡にいちいち驚いていたら、生活を静かに送ることはできない。病気や苦難のなかで、絶望していなければならない期間があるからこそ、当たり前の毎日が、輝きだす。

・なにを、信じるか
 過去は、もう消すことができない。僕は、もう生きてしまっているし、それを、なくすことはできない。そして、どうせ生きるなら、楽しい方が良い。悲惨な事件なんて、起こらない方がいい。でも、現実は違う。どうやら社会は、なにか、間違ったものを信じているようにさえ、思う。

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 〈私〉とは、存在の一つの通路だ。風が通るための。あるいは、過去と未来が出会うための。恩は、与えて返されるものではなく、与えたものが別の者に与え、それが、さらに、別の人に伝わり、順々に巡っていき、流れていく。恩の流れは、途切れることなく続いていく。満ち足りた沈黙についで、やってくる愛を、受け入れて、朝の光を待つ。