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思考

クロノロジカルな時間

 僕は、男だ。女じゃない。べつに、それを、選んだわけじゃないけど。戦争に巻込まれたことはない。そんな時代に生まれたことを、幸福に感じるのもいいだろう。僕は、同性愛者だ。それを、選択した訳ではない。なのに、なぜ、こんなにも僕の人生を深くえぐるように、地響きをたてるんだろう。ありとあらゆる因果のなかに放り込まれた僕は、ここで、必死に生きることを、強制されたようなもんだ。このはかない命の無意味さは、どこまでいっても、とどまることを知らない。

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・共感
 理解できないことだらけの世界において、とある階級に産み落とされた奇跡を、手放すのは、たぶん違う。そこが、どんなに苦しい場所でも。嫌なら逃げればいい。基本的に、どんな事柄にも、意味なんてない。お互いに、反発しあっても、なぜ、存在するのかという迷いに襲われても、途方にくれることはないだろう。毎日を、必死で生きぬくしんどさは、少なからず、共感できる部分があるはずだ。

・想像力の欠如
 たとえば、若い女であることのしんどさを、あなたは、想像したことがあるかと、問い続けなければならない。すがるものがなく、貧困に苛まれるシングルマザーのいらだちを、ののしりを、聞いたことがあるだろうか。なぜ、こんなにも想像がゆきとどかないんだろうと嘆く日常は、音を立てることなく、静寂に包まれている。そんな人生を選んだあなたに、責任があると言うかもしれない。「自己責任」という名の理論のもとで、構築される偏見は、名もなき人々を、傷つけている。

・しわよせが、いく
 ようは、僕がここで言いたいことは、自分からすすんでおこなったことの結果を、どのくらい引き受けなければならないかということだ。しわよせは、いつも弱者やマイノリティーに降り掛かり、引き受けなくてもよいような責任を、問われる状況があるという事実から、目を伏せてはいけない気がする。

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 人が、何かを語るとき、できるだけ、順序立てて説明しようとする。でも、そんな努力もむなしく実際は、印象の軽重に、関心が向けらることが、多くある。クロノロジカルな時間が、一定しないことを、どう読みとるベきだろう。社会構造や制度の歴史を含んだもののなかに存在する、多様で、流動的な事実から浮かび上がる感情を、無視して、僕らは、世界を理解することはできない。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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