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思考

リアルの空洞化

 生まれるに前に、もうすでに、ルールはそこにあった。グローバル化する経済の前に、個人のなす力は、もはや無力だ。社会にとけ込もうと努める姿勢は、認めようと、誰かが言う。でも、そんな口車には、もうのせられない。資本主義が席巻する世の中に、風穴をあけようとすることは、現代に生きる者に課せられた、使命なのだろうか。そんな役割は、いっそのこと放棄したいのに、なかなか、突破口をみいだせずに、もがき苦しんでいる。

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・同時並行
 世間を賑わす出来事は、大抵、誰かの不倫であり、不祥事だ。分かりやすい構図で、人生を、転落していく人を、あざけ笑うように、清閑している僕らは、なんだか滑稽だ。テレビの中で起きることが、すべてだという思い込みは、陳腐にみえる。あるいは、テレビで取り上げられない事象のなかに、真実が、見え隠れしていると言ってもいい。世界のあちこちで紛争は、起きているし、毎日、カーテンをあけて日光を浴びる、清々しい朝を迎えるのと同時に、不条理に、人が死んでいる。

・義務に値するもの
 中東情勢を伝える番組は、極わずかだし、取り上げられるとしても、ニュースの中の数秒で終わる。だから、危険だと分かっていても、現地に行くジャーナリストは、必要だと思う。そんな遠い国で起こることなんて、気にならないというかもしれない。そう考えれば、楽に生きられるだろう。でも、自国の情勢が穏やかだから、他の国なんて、関係ないというのは、冷徹な態度と、言わざるえない。少なからず、少しでも、世界を良くしようと努力することは、義務に、値するだろう。

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 テレビを見るだけで、世界を、理解できるというのは、はったりだ。そこにあるべき真実が、すっぽり、抜け落ちている現象を、「リアルの空洞化」と、僕は、呼んでいる。インターネットの発達で、個人が、メディアになれる今の社会において、世相をあらわす記号ばかりが、増えていく。有益な情報が、世界を補填していく。何を、しても、響かず、リアリティーが、無情にもすり抜けていく。生きている実感が、ただ欲しいだけなのに、世知辛い世の中の冷酷な態度は、危険に見るべきだと思う。他人への不寛容は、自分を苦しめることになることを、これっぽっちも分かっていないのは、愚の骨頂だ。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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