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僕の”未来への”思考(2)、あるいはカタストロフについて

 大切な人の死に、何度立ち会えば、僕らは、なにげない日常の輝きを、かみしめることができるんだろう。もう年の瀬が近いというのに、砂粒のように、こぼれ落ちていくみたいに流れる時間が、ただただ過ぎていく。

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・資本主義ゲーム
 「貿易戦争」という言葉を、ニュースで耳にする。そのとき、なにか分からないけど、”戦争”という言葉を、むやみに使うのは、やめたほうがいいんじゃないかと思った。大国としての威厳を保つことが、そこで暮らす人々の生活より、大事な訳がない。ある程度の豊かさは、必要だと思う。でも、資本主義のゲームに、勝ち続けることを、国家の目的にするのは、間違っている。じゃあ、これから増えていく高齢者を、どうやって支えていくのかと、批判が起きるだろう。

・先のみえない不安
 たしかに、かつてのソニーやトヨタのような、世界的企業がたくさんできて、多くの雇用を生み出すことは、僕らにとって、好都合だ。でも、技術の進歩や、AIの発達によって、必要な労働者は、減少するだろうし、本当に、人が必要な業種は、外国人労働者に任せればいいじゃんってなるだろう。そうなれば、なんのとりえもない、専門的知識もない国内労働者の先行きは、不安でしかない。

・過去から学ぶ
 でも、僕は、案外、単純に考えている。金を持ってるやつが、税金を納めて、企業は、労働者に還元して、個人が消費していけば、経済は回っていくんじゃないかと思う。戦争が起きれば、景気がよくなるらしいけど、そこまでして、マネーゲームの勝ち組になりたい願望を持ち続けるほど、僕らは、愚かではないはずだ。大戦の前から、”戦争”はひとつの論理的な可能性であり、現実には起きそうにないことと認識していたにもかかわらず、紛争が勃発してしまった歴史を、忘れてはならない。

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 3.11以降、原発の安全神話は崩壊したといっていい。もう、原発事故は起きない平穏な日常が続いていたときには、戻れない。僕らは、現実のカタストロフ(破局)に直面し、本当は存在していた、わずかな潜在性を、目の当たりにした。人間は、過去から学ぶことができる知性に富んでいるはずだ。資本主義にしかり、原子力発電にしかり、必ずしも、それしかないということはない。代替えを見つけることは、容易くはないけど、ゼロではないと、僕は思う。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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