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社会の出来事

瀉血のごとく

 夏の暑い、うなだれるような日差しを目の前に、部屋で寝そべりながら、蝉の鳴き声が耳に響く。もうそろそろ、言い争いはやめにしないかと、虫が教えてくれているみたい。誰かの意見を、批判することは、構わない。相手の見方を尊重しないで、自分の見解を、ただただ繰り返すだけじゃあ、議論とは呼べない。誰かの、もやもやとした気持ちを、言語化できる識者が、僕らには、必要なようだ。夏は、刻一刻と終わっていく。だけど、まだ暑さは続くのだよと、かんかん照りの気候が、報せてくれる。

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・だけど、言いたい
 同性カップルに、法的な権限をあたえるかどうかの問題で、杉田水脈衆院議員の主張に、注目が集まっている。そんななかで、自民党の谷川とむ議員が、追い打ちをかけるように、同性愛は、趣味と変わらないと発言し、波紋を呼んでいる。無知っていうのは、簡単に、人を傷つける切れ味のすごみを含んだ、言葉に早変わりする。それを、念頭に置かなければならない。自分の考えを発言することは、同時に、違う立場の人を、追いやることになりかねないということは、ブログやSNS上で情報を発信する人は、知っておくべきだろう。
 一方で、彼らの発言を受けて、冷静に、声をあげるべき人たちが、的確な論評を並べてくれることが、当事者として、素直にうれしかった。たぶん、もう、僕の言うべきことはないと思う。あったとしても、同じことの繰り返しになる。だけど、言いたいから書こうと思ったので、こうしてつらつらと、文章を書いている。

・暮らしたい世界
 杉田氏の「LGBTは生産性がない」という旨の発言は、多くの人が感じているように、とても偏った意見だと思う。そもそも生産性をもって、人間の価値を決めようとすることは、とても、危険だ。よく仕事をして、成果をあげる人だけが優遇され、仕事ができない障がい者や、子どものできない夫婦は、蔑ろにされる国なんて、はたして、僕らが暮らしたい世界なんだろうか。暴力的な線引きをしない、差別されても何も言えない社会的弱者だとしても、安心して暮らせる社会を、構築することが仕事のはずの政治家がいう、言葉ではない。僕は、そう思う。

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 僕は、良い社会というものは、他人どうしが、お互いに親切にしあうことができるような社会だと、思う。でも、実際に、優しくするのは、とても難しい。もしかしたら、親切が相手には、おせっかいになるかもしれない。街は、それを、知ってか知らずか、だれしもが、無関心に溢れている。知らない人に声をかけてはいけないというルールを、かたくなに守っている。身体のなかで脈打つ心臓が、瀉血のごとく、朝やけ色に染まる。そうだ。この痛みこそが、生きているリアリティーなのだと、僕の脳みその奥から、語りかけてくる。

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思考

茘枝(ライチー)の皮

 どうして、こんなにも、息苦しくて、生きづらくて、決して居心地のいいものではない場所で、だれも認めてはくれない我慢を、強いられているのだろう。別に、理解して欲しいなんて思ってない。ただ、成熟(してるのか?)している社会で、たぶん、一昔前のような勢いはない、経済が伸び悩んでいる状況において、気持ちよく生きているやつって、既得権益に保護された世代だ。そんな奴らは、自分とは利害の関係ない人権論なんかに、耳を傾けようとはしない。

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・疼くもの
 自由貿易に賛成な人たちが、人が国境を越えてやって来ることには、反対だったりする。わけがわからない。でも、考えてみよう。たぶん、どんな判断にも、損得勘定がつきまとう人たちは、こうすれば少しでも、社会が、良い方に変化していくんじゃないかを考えない。別に、それが、悪いといいたいんじゃない。誰だって、損をするのは、いやだ。でも、それじゃ、だれが僕の中で疼く、良心というか、道徳というか、モラルみたいものに、向き合ってくれるのか。今日も、いうまでもなく、高価で買えない薬をもらえず、病気で人が、どんどん死んでいる。

・人口について
 人間が増えると、地球環境に悪いんだから、減ればいいという人が、いる。それなのに、日本では、少子高齢化で、働き手が減るし、経済にも悪影響だとされ、人口の減少を、防ごうとしている。どちらにしろ、人口を操作しようとすることは、僕は、野蛮だと思う。自然の営みに、任せればいい。子どもが、たくさん欲しい人は、そうしたらいいし、逆に、少ないなら、少ないなりに、いいこともある。たしかに、高齢者を、あるいは、かれらを含めた社会というものを、若者が、支えなければならない。それは、そうだ。だけど、それに、平然と対処できる社会を作れないほどに、僕たちは、愚かなのか。それを問いたい。

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 無垢で、純真な、てのひらが、頬に触れる。氷のような冷たい皮膚から、儚さが伝わる。僕の身体を流れる黒い血に、にている、甘酸っぱい果実の皮をめくり、その裏側をみたい衝動に、駆られる。茘枝(ライチー)の皮を、はがしながら、夏のむせかえる緑のにおいを、鼻にふくませて、次の季節を、待ちたい。

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思考

逡巡

 内輪で持ち上がる三角関係や、カップルの痴話喧嘩、TVドラマやワイドショーの中で繰り返される、陳腐なトラブルやゴシップ。それをくだらない、関係ないと信じていた頃が、あった。それはやや、傲慢であったかもしれない。今になって、自分の内側に膨れ上がる感情の激しさに、戸惑いを隠せない。

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・噛み砕けない事実
 「死は、生のひとつだ。」と、小説の一節が語る。たしかにそうだと、ふと考え込む。僕たちは、数ある選択肢を、慎重に選んで、あるいは選ばずとも、たまたま、今という場所にいる。そして、その中で、死を選ぶ人がいることを、多くの人が知っている。なにも、自殺を、肯定したいわけではない。そうでなくても、不条理な死は、いくらでもある。もっと、生きたくても願わなかった人生がある。でも、やっぱり、死を選ぶことも、「生きる」ことの選択肢の一つでないかという事実を、噛み砕けないでいる。消滅によって、成就できる生命があっても良いじゃないかという思考が、僕の中を巡る。

・むごい世界
 みんながみんな、学校である程度、均等な教育を受けているはずなのに、できあがる人間に、どうしてこうも、違いがあるのかを考えたことがある。違いはあって、あたりまえだし、それで良いというのは、少し呑気だと思う。遺伝子やら、DNAがという話をしたいんじゃない。目の前に広がる社会の仕組みの嘘を、暴くなんていう、たいそれたことは、できないけど、少なくとも、何が何でも正しいとされている中にある矛盾を、追求していかないと、ずっとこのままが続いていく。それは、なんていったらいいか分からないけど、結構むごいことだ。

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 悲劇とういのは、他人から見ると、喜劇だというけれど、その真ん中にいるひとにとってみれば、それはそれは、重苦しい試練であって、生きるか死ぬかの闘いだ。悲しみの渦中では、分からないことがある。起こること全てに意味があって、それらが愛おしく感じるなんてことは、きっと、もっと時間が経過したときだ。まだ、僕らの逡巡に、迷いに、決められないなにかに、胸が焼けそうになる。きっと、朝になれば、そんなこともつゆ知らず、新しい一日が始まる。

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社会の出来事

祈りが届かないとき

 僕は、ただ生きたいと、思っている。社会に貢献できているのか、あるいは生産的な仕事に従事しているのかとは、関係なく、ただ単に、生きたいのだ。そして、それは、ある程度、達成できている。命の保証がされている。今のところ。細かく言うと、他人に、どう思われようが、殺してしまいたいほど憎いと思われようが、それによって、人の生き死にが、左右されることは、許しがたい。あたりまえのことかも、しれないけど。

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・母親の重責
 今回、目黒で起きた女児虐待事件について、考察することがあるとするならば、子育てをすることが、今の社会で、どれだけ大変であるかではないだろうか。迷惑をかけてはいけない、なにか失敗をすれば、自己責任論が持ち上がる。そんな窮屈な世界で、子どもを養育しながら、かつ自分の人生を輝かせる生き方ができる母親が、どれだけいるだろうか。(そもそも、育児や責任が、母親側に偏っている問題が、ある。)全ての女性が、強いわけじゃない。

・閉鎖された場所で
 議論の的として、被害にあった女の子を、いかにして、救いあげることができたのかが、焦点になりつつある。それも、間違ってはいないだろう。でも、その家族を閉鎖空間へと導いたのは、まぎれもなく、社会の方であるし、さらに、いうならば、他でもない、僕たちであったはずだ。もっと、生きたいと願った女の子が、いた。親に愛されなかった子どもが、いた。愛されないのは自分が悪いのだと、自分を責める人間がいた。それを、忘れないでほしい。

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 生まれてくる全ての子どもが、健康に、健やかに、愛情を惜しみなく注がれながら成長できることを願ってやまない。だけど、僕らが生きている社会では、複雑な要因が絡まって時に、凄惨で、残虐な事件が発生する。どんなに強く祈っても、祈りが、届かないときがある。それなら、いったい何を思えば良いのだろうか。結局は、ひとつひとつ丁寧に、話を進めていくほかはない気がする。虐待は、なにも今回、表面化した事件だけではない。だから、できることがあるし、あるいは祈ることもできる。どうか、陽のあたらない孤立している家庭に、光が降り注ぎますように。

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社会の出来事

時間を持たない天使

 連日、世間を賑わすゴシップが、僕の感覚を、鈍らせる。議論すべき大切なことのようで、よくよく考えてみれば、そんなに長く時間をかけてやるネタでも、ないんじゃないと、ふと気付いてしまえば、テレビは、あっさりと、必要のない粗大ゴミに変化する。誰かの不幸をもてはやしたり、失敗してしまった人を、くだらない正義感をたてにして、批判を繰り返す民衆は、愚かだ。なのに、マスメディアによって、今日も、かたよった世論が、形成されていく。僕は、聴衆の感情的な感性を利用した重苦しい、まとわりつくようなお昼の情報番組が、嫌い。

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・感情の種類
 勝間和代氏が、同性愛をカミングアウトしたニュースを、インターネットで目にする。きっとその瞬間、僕と同じように、その報せをみた人が、大勢いたはずだ。僕が、注目したいのは、そのとき芽生える感情の種類だ。きっと、気持ち悪い、そんな話聞きたくないよと感じた人は、一定数いると思う。もちろん、他人を、拒絶する権利はある。問題は、同性愛に免疫のない人が多数派で、それが、正しいと思い込んでいることだ。

・可視化
 守るべき立場も、失うものもない僕が、カミングアウトするのとは、違う。彼女の決断は、勇気のいることだと思う。当事者たちの苦労や孤独を溶かすことができればと、願う。この流れを、大事にしたい。これから、身近にLGBTがいることが広まって、可視化が、どんどん進むと、僕は考えている。それに伴い、いい面もあるだろうし、悪い面もある。もちろん。日本は、まだまだ当事者たちの権利において、後進国だときくし、社会が、変わっていくのは好ましい。もちろん、どう変わっていくかが、大事だけど。

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 いつまでも、時間という概念に縛られている。消し去ることはできない過去から、目を背けることは、時間を持たない天使になろうとすることに、近い。そうじゃなくて、僕らに、必要なことは、天使になろうとせず、人間の地位にとどまり、過去と和解しようと努力する姿勢だ。そこから、未来への階段が開ける気がする。

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思考

恩の流れ

 僕らの歴史を、ちょっとでも振り返れば、残虐と恨みは、無尽蔵に見出される。それらの類いの感情は、簡単に、すべてを、呑み込み尽くす。ときに暴発した情念は、暴力となって、他人に襲いかかる。言葉や芸術でも、処理できない、なにかをもてあましながら、人間は、これまでを、どうにか過ごしてきたといって、過言ではない。
 じゃあどうしたら、他者を傷つけず、おとしどころを見つければよいのか。いじめは悪だ。ない方がよい。なくしなさい、なくした方がよいと語って、攻撃性がなくなるのであれば、話は簡単で、倫理学も、法律も、いらなくなる。言葉で、なくすことはできない。いくら言葉を積み重ねても。だからといって、言葉は無力であると、短絡的に考えるのは、愚かだと思う。

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・ちっぽけな存在
 今まで築いてきた文明を含め、人間という個体の生成は、ひとつの奇跡だ。たとえば、神様が、存在したとして、かれは、果たして予め、現在の世界を、計画していたのかどうかは、疑問だ。たぶん、この世界は、もうとっくに神様の範疇をこえ、未曾有の未来へと、向かっているのではないだろうか。地上で暮らす僕たちは、もう軋轢や差別に、耐えられないでいる。途方にくれて、ただ涙を流しながら、祈るくらいしか、術を持たない存在なんて、とてもちっぽけだ。僕は、そう思う。
 もちろん、無数にある身の回りの奇跡にいちいち驚いていたら、生活を静かに送ることはできない。病気や苦難のなかで、絶望していなければならない期間があるからこそ、当たり前の毎日が、輝きだす。

・なにを、信じるか
 過去は、もう消すことができない。僕は、もう生きてしまっているし、それを、なくすことはできない。そして、どうせ生きるなら、楽しい方が良い。悲惨な事件なんて、起こらない方がいい。でも、現実は違う。どうやら社会は、なにか、間違ったものを信じているようにさえ、思う。

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 〈私〉とは、存在の一つの通路だ。風が通るための。あるいは、過去と未来が出会うための。恩は、与えて返されるものではなく、与えたものが別の者に与え、それが、さらに、別の人に伝わり、順々に巡っていき、流れていく。恩の流れは、途切れることなく続いていく。満ち足りた沈黙についで、やってくる愛を、受け入れて、朝の光を待つ。

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自分のこと

欲望に花を見つけよ

 試験の問題には、必ず答えがあるし、迷路には、出口がある。でも、人生や、世界も、同じだという保証は、どこにもない。途方もない貧しさのなかで、明日を生きることも困難なとき、迫られる選択肢に、正解なんて、あるのだろうか。豊かな国に、密入国するとか、犯罪に手をそめるみたいな、全てが、間違った解答であるかもしれない。でも、恵まれた人生を歩んできた人には、分からないんだろうけど、現実なんて、そんなもんだ。神様が、いまいがいてようが、人生が、バッドエンドに向かうことが分かっていても、前に進むために、悪に、そまることを、余儀なくされた人たちがいるということを、僕らは、理解すべきなんだろう。

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・オプション
 同性愛のことで悩んでいた当時、僕は、何か前世で悪いことをしたから、今が、こんなに苦しいんだと、真面目に、考えていた。今はというと、神様は、やっかいなオプションをつけてくれたもんだという、くらいになった。たぶん、つぎに生まれてくる時も、ゲイでありたいと言えれば、もっといいんだけど、まだ、そこまでは、いっていない。同性愛は、どうせ奇妙な趣味でしょという偏見があるかもしれないけど、実際は、違うことが、学術的な研究で、明らかになりつつある。性的志向は、うまれつきのもので、わざわざ、選択しているわけではない。

・自由への憧れ
 そもそも、先天的なものなのか、あるいは選択できるものなのかという問いかけ自体に、意味はない。セクシャリティは、もっと自由でいいし、人生を豊かにする要素になる可能性を秘めていることを、忘れてはいけない。けっして、少数者が抑圧されて差別されても、黙って見過ごさないといけないような空気感を、よしとしてはいけない。

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 欲望は、醜い。ときに嫉妬にかわり、怒りにかわる。でもだからこそ、下劣な欲望に、花をみつけよう。くだらない妄想も、尽きることない幻想も、全て受け入れることが、過去を見直すことにつながる。どっちみち、この不衛生な世界を、たった一人で生きていくのだから。はじめから、整備された道があると思うことが、そもそも錯覚だ。人生は、荒れ狂う荒野だ。

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社会の出来事

憎悪の河

 ゴミ箱に捨てられた多くのものが、もう一度、役に立つものとして、機能することは、少ない。いったん、くずとみなされて、そのレッテルと貼られてしまうと、そこから這い上がるのは、いつだって難しい。過去に、犯罪を犯したものが、もう一度、社会復帰できる土壌を養成することが、大事だと思う。

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・元TOKIOの山口メンバーの強制わいせつについて
 誰かが、不祥事をおこせば、メディアは、いっせいに、渦中の人を、吊るし上げる。地位も、名誉も、信頼も、全てを失ってしまった彼を、たたくことが、これ以上必要なのだろうか。悪いことを、したんだから、仕方ないというかもしれない。ただ、誰にでも、内なる欲望が暴走をするサイのように、自分では、制御できなくなる体験は、ないだろうか。それって、男だけの生理的現象だとしたら、今回、失態を犯した彼から学ぶことは、多いはずだ。(なお、男の加害性を、正当化するつもりは、ない。もっと、言えば、刑罰は、司法が決定すればいい。)

・無力
 遠いどこかの国で、戦争が起きている。戦闘行為や、テロリズムの犠牲になるのが、無垢な子どもたちである場合が、ある。そんなことを、ニュースで知るたびに、僕のペシミズム的感覚が、何処かの琴線に触れる。化学兵器の被害にあう人たちの映像は、どこまでいっても、痛ましい。だからといって、日本という恵まれた国で生まれ育ったものとして、できることなんて、出来の悪い頭からは、想像することができない。自分の無力さを、思い知らされると同時に、ニヒリズムに傾斜をかける思考が、爆発するように、まさしく、心の底から、虚無感が溢れ出るのだ。

・いたちごっこ
 だからといって、テロリストを、殺戮することが、正義だなんていう考えには、賛成できない。ひとつの悪を潰しても、また、もう一つの悪が顔を出す。いたちごっこの様相を呈すのは、目に見えている。なのに、アメリカは正義のなのもとに、空爆を行うというし、日本はどうでも良いワイドショーのネタと並列して、各国の情勢を、数秒の割当で、報道する。大衆の目を引くことだけに気を取られるジャーナリズムなんか、別にいらないのに。

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 激しい戦争や闘争や革命の底には、途方もなく、大きく深く強く黒い憎悪の河が、流れている。少なくとも、僕が学んできた世界史は、悲しみの連鎖であるように思えた。その流れを知らないで、倫理を語るとすれば、無邪気であると、僕は思う。

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自分のこと

僕の中に内在化する死者たち

 それは、予告することなく、突然にやってくる。仕方なく、ドアをあけて迎える。きっと、そうだ。絶望を追い返すことなど、誰にもできないのだ。
 「死は、悲しいことではないのよ」という一節に、なんとなく、気が楽になる。死ぬ前と後では、ただ、魂の在り方が違うのだ。亡くなった後も、死者たちは、人の心に、存在し続ける。ときに生前よりも、もっと深く、濃く、そして大胆に。ふいに、それは、もう僕の中に内在化してしまったのだと気付く。まるで初めから、そこにあるみたいに。決して、他者からの問いかけによって、触発されてできたものではないという考えが、確信に変わる。

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・父について
 父について、語ろうと思う。思春期の僕は、きっと誰しもが通る道だけど、親に対して、素直に、接することができなくて、いつだって、素っ気ない態度だった。もちろん、僕は僕で、同性愛のことで、少なからず悩んでいたし、それで、手一杯だったというのは、言い訳だろうか。
 僕が、男の子を好きなんだと、打ち明けたとき、父は、戸惑っているようだけど、なんとか理解しようとしてくれた。よく面白い漫画を見つけては、息子である僕に勧めてくれたんだけど、ある日、彼が買ってきた漫画は、性同一性障害をテーマにしたものだった。それとは、違うんだけどなと、心の中で思いつつ、でも、なんとか歩み寄ろうとしている姿勢が、嬉しかった。

・性的欲望
 もし、彼が「私は正しい」という信念をまげず、かたくなに、心を閉ざしていたなら、それこそ、僕の居場所は、なくなってしまっていただろう。いつだって、正しさの中には、善かれ悪しかれ、暴力性を、備えているということはだけは、確実である。いつも欲望が、自分自身の内奥を、形成しているような気がする。でも、性的欲望は、隠さねばならぬものだから、みんな打ち明けようとはしない。

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 きれいにトイレを、使用してくださいだとか、ゴミは分別しましょうとか、とにかく、世の中は、どこもかしこも、メッセージで溢れているので、少し、うんざりしてしまう。それは、僕に語りかけているようで、同時にその他大勢に、向けられている。はたして、そのメッセージを、深く心に刻むことは、可能だろうか。
 入り口も出口もない人生というものに、途方に暮れる。だけど、父が死んだ夏の、薄暗くなり始めた夜空を、忘れることはできない。この季節は、どうしても、父のことを、思い出さずにはいられない。

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社会の出来事

ディグニティ(尊厳)、あるいは赤い薔薇に包まれて

 いたるところに散らばる、不協和音の欠片が、頭にまっすぐ響く。僕らが、本当に議論すべき問題は、貧困であり、格差であり、環境破壊であるはずだ。どれだけ長い時間がかかろうと、そろそろ、この惑星と、向き合うべき瞬間が、もうすぐそばに、きている。
 「核兵器のない世界をめざそう」なんていうきれいごとは、まだ純真という言葉が似合いそうな大学生が、叫ぶ言葉のようだ。もし、大物政治家が、そんなことを発言すれば、世間の嘲笑を、浴びるかもしれない。でも、はたして、それでいいのだろうか。

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・自由と公正
 発行部数の多い新聞が、認めてくれるかどうかを、基準にして、政策を、決定するようなところまで来てしまえば、もう打つ手はない。数千年かけて築いてきた、何ものにも代えがたい「自由と公正」は、感情的な手段によって、簡単に粉砕される。シリアに、空爆をおこなうかもしれない、トランプ政権に、一言かけるなら、今こそ、見せるべき姿勢は、連帯、寛容、共感といったものではないか。排外主義になれば、それこそ、相手の思うつぼである。

・画一的
 国民全員が、同じ生活水準で生きているなどという、子どもでもわかる大嘘を、かつて、信じていた時代がある。安倍政権の「一億総活躍」というスローガンは、国民を、画一な一つのものにしようとする、意図はわかるが、それに、当てはまらない人間はいない者にされる危険を、はらんでいる。それは、暴力の何ものでもないと、ここで、言っておくことが必要なのだ。

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 富む者も、貧する者も、性別や、性的指向が、自分とは違う人も、すべての人間が、平等だという概念は、教育で教わっているので知っている。でも、その平等である理由が、自分を含めた、すべての人間に、ディグニティ(尊厳)があるからだということは、ピンとこない。あまり、日光を浴びることのない劣悪な土壌にも咲く薔薇は、苦境や貧困に咲く花のシンボルと、言われることがある。赤い薔薇に包まれて、この僕にすら、厳かなものが与えられていることを、思い出しながら、眠りにつく。