カテゴリー
思考

そこにあるものとして

 幸せというものは、そこまでして、複雑に考えるものではないのかもしれない。ただ、ふとしたときに、生きがいを感じることができればいい。それは、日常のなかでかいま見れる、ほんと一瞬なんだけど、愛おしい。夕日をみながら、今日も一日が、終わることを、かみしむことができれば、上出来だ。孤独に宿る魂が、火を噴き始めたとき、一人でいることの空虚さを、思いしるだろう。僕たちは、この生きにくい社会で戦おうと決意し、そして、幾度もなく、感情の扉を開いてきた。もし、それが何の意味も持たないとしたら、人生というものは、いささか、残酷である。

    ★    ★    ★

・いっそのこと
 競争社会において、人より劣っていることは基本的に、問題とされる。仕事につけなかったり、貧乏な生活をすることになる。ときに、他人を蹴落として、這い上がる卑劣さを持ちなさいと、あなたは言う。そうであるならば、スタートラインは、同じにするべきではないかと、僕は言うだろう。障がいをもって生まれる人、勉強ができない人、要領の悪い人、貧乏な家庭に生まれ育った人、それらの全てを個人が背負い込まなければ成り立たない世界なんて、いっそのこと滅びてしまえばいいと思う。

・怒りを、あらわす
 それが成熟した社会だと言い張るならば、僕は、断固として反対する。人は、何の理由もなく頭が悪かったり、仕事ができなかったりする。そんなことを理由に、優劣を付けられ、社会から排除される世の中なんて、望んではいない。貧困のさなかで、誰からも援助されず、這い上がるチャンスさえ渡そうとしない仕組みが、あるいは、どん底から抜け出そうとする努力をあざ笑い、しょせんお前は、底辺で生きていればいいと吐き捨てる人間が、憎い。

・エクストリーム
 そんなものは、所詮、エクストリームな例でしかないと、あなたは言うかもしれない。大半の人が、普通の人生を送っているんだから、何の問題もない。そこにある「普通」という言葉が、僕には、暴力にみえる。普通じゃない人を遠ざける社会、一旦、道を踏み外した者の更生を鑑みないマスメディア、安易な情報操作で影響される大衆、そこには、もう希望という不確かな期待さえ、存在しない。だからと言って、簡単に絶望してはいけない。

    ★     ★     ★

 人は一旦生きてしまえば、生き続ける。そこにあるものとして。あなたが、どれだけ、不快に感じようが、僕はここにいる。思想や、政治的信条によって、他人の生き死にが決定されるほど、恐ろしいものはない。不条理な死を、見過ごしてきた過去に、戻るのは嫌だ。だからと言って、今がベストな状態とは言えない。急速に変化していく社会が、どこに向かおうとも、良心にそって生きる人が、報われる日を待ちたい。

カテゴリー
思考

イマジナリーに、終わらない

 どうやって社会の変化を解釈しようかと、躍起になっている人たちがいる。急速に変わっていく世の中は、知ってか知らずか、あざ笑うかのように、彼らを黙認しているようだ。いったい、どれだけの人間が、幸福な未来を描けているのだろう。もし、仮に自殺した人の声をきけるのだとしたら、あなたは、どんな問いかけをしたいのかを思考するといい。そこには、きっと自分がどんな風に生きて、そして、死んでいきたいのかという複雑な考えが、絡み合っている。

    ★    ★    ★

・吐露する
 貧困に苛まれる国民、豪遊するお金持ち、政治に無関心な若者、いわれもない差別を受けるマイノリティー、普通に振る舞いなさいと教育される子どもたち、みずから命を絶とうとする精神障害者、青春を謳歌する学生、大人になりきれない大人、余生を送る高齢者、悟りをひらいた僧侶、誰しもに思い当たる、基本的属性は、虚しく台所にあるシンクの水路に流されていく。もう、男をやめたい、女であることに疲れたと、吐露するのも、たまにはいい。どうやっても捨てきれない、自分の本質に苦しむあなたは、けっして、愚かではないはずだ。

・声を、あげよ
 学歴や職業、年齢、性別、国籍によって、どんな風に、扱われるかが、左右されるのは、かならずある。案外本人は、その属性のせいだと気づかない。「僕は○○だから、こんなひどい扱いをうけたんです」というのは、言い訳ではない。差別が、もしそこに実在したのなら、それは声をあげなければならない。けっして、自分を責めるんじゃなくて。

    ★    ★    ★

 他人を理解するのは、難しい。なんでお前は、そんな馬鹿なことをしてるんだと思う時は、多々ある。特殊な体験をした人の話を聞いて、自分なりの解釈を加え(もちろん、一方的なものではなく)、社会背景と関連づけて文字にする作業は、いわゆるアカデミックな世界で、滞りなく行われている。そんな文章は、イマジナリーな役割でしかないという批判は、当然ある。でも、そこにある事実なんて、あってないようなもんだと決めつけるのは、愚行だ。
 いま、当事者たちが語る物語性に、耳を傾けなければ、いったい、どうやって歴史を認識すればいいのか、途方に暮れる。その人の人生に降り注ぐ、希望や不安が、たとえ目に見えなくても、現実社会に押しつぶされないように祈ることを、忘れたくない。

カテゴリー
社会の出来事

自分が勝てるゲームに参加すればいいと思っている

 通勤電車に揺られながら、みなが同じ格好をして、会社へと出かけていく風景は、何気ない日常のひとつに違いない。でも、少しでも違和感を覚えたなら、あなたは、その直観に従って、生きるべきだと思う。どこかしら誰しもに、みずからを解放する時間が、きっと必要なのだ。僕は、なにも毎日、汗水流して働くひとが全員、不幸なのだとは言っていない。
 みんなが嫌がる、やりたくない仕事を、誰かが請け負っているからこそ、社会が潤滑に進んでいるのだし、感謝すべきだ。でも、ずっと必要以上に我慢して、それこそ身体を壊してしまうまで、労働に勤しむことはない。みんながみんな、好きな生き方を選択すればいいと思っているし、過去の伝統的な価値観に縛られる必要は、ない。

     ★    ★    ★ 

・苦痛
 不登校の10歳の少年が、youtuberとして、世間の注目を浴びているのをみて、さまざまな意見が飛び交う社会は、案外、正常なのかもしれない。まず、僕が思ったのは、義務教育を終えて立派な社会人になることが、ひとつの全うな生き方という考えが、自分のなかに、案外おおきな塊としてあるということだ。だから、学校に行かないという選択をする子どもの主張に、モヤモヤとした感情が生まれた。自分も苦労して、学校に通ったんだから、僕が感じた苦痛から逃げるあなたは許せないと、言いたいのでない。

・批判
 学校にいかないという選択と、学校に通う生徒はみんなロボットのようで、自分で物事を考えない人間を量産しているという考えを、同じに扱うことを避けるべきだろう。もし、彼が、学校で、教育をうける子どもを愚かだと位置づけるなら、批判がたつのは当然と言える。

・許容
 同じ教室にいる生徒たちは、ひとつの空間に存在している。でも、だからと言って、みんなが同じレースに参加している訳ではない。それぞれの人生の隙間に転がり込む彼らは、それこそ階級、性別、人種といった、様々な社会環境のなかに属していることになる。つまり、そこには複数のゲームが、展開している。その中から、合理性を鑑みて、自分が勝てるゲームに参加すればいいと、僕は思っている。要は、くしくも、この社会は、自分が選択した人生に責任を持ちなさいと、けしかけてくる。その残酷な真実を、呑み込めさえすれば、どんな生き方も、許容されるべきだろう。

     ★    ★    ★

 人の人生なんて、それぞれだよね、って言えれば、楽なんだけど、どうやら社会は、なにか正解を欲しているのだろうか。ある意味で、暴力的に、あるいは刹那的に。不安に駆られる衝動と、豊かな暮らしを求める人間性は、初夏の遠い青空の中に、飛んでいってしまう。僕らは、自分のことを正常だと、思い込んでいるに違いない。
 いうまでもなく、学校に通うことで、成長できる部分もある。でも、同じ教育を受けたからといって、みんながみんな素晴らしい人間になるとも限らない。学校に、いかなくても、目覚ましい才能を発揮する人もいる。混迷する社会において、絶対的に正しい選択なんて、ないんだから。そうだとしたら、自分に合った人生を歩むべきだと、僕は思う。

カテゴリー
日常・コラム・エッセイ

それぞれの流儀にしたがって

 うまくいくことばかりではない。当然のことながら。ひとりで、自分のなかの僕と格闘しているさまは、ひどく滑稽だ。へこんでは、下を見て歩く日常には、もう慣れている。そんなときは、お気に入りの道を辿って、家路に着こう。帰り道だけが、優しい香りがする。誰かに慰めて欲しいと思う時がある。でも、それは、都合のいい相手を求めているだけかもしれない。幼い頃に、母に抱きしめてもらった肌のぬくもりは、さざなみの彼方に消えていき、遠い記憶となってしまった。そうだ、ぼくは、あの瞬間から一人で、この世知辛い社会に挑もうと決心をした。ここによみがえる鮮やかな思い出は、決して誰にも奪われてはいけない。ただ、それだけが分かる。

 地元の銭湯で、一人で湯船に浸かっている時間が、明日への希望を蘇らすように僕を癒す。顔なじみのおっちゃんたちは、しゅくしゅくと、頭を洗ったり、ひげを剃ったり、サウナで汗を流したりしている。彼らは、それぞれの流儀にしたがって、儀式ともいえるルーティンをこなしていく。普段は、壁に囲まれた空間で行われるイニシエーションが、公共の場で、したたかに繰り広げられる。それは、なにか哲学的なものを、纏っているように感じる。

 散りゆく桜が、ブラックホールに吸い込まれるように、地面に落ちていく。僕は、昔から春が嫌いなのだ。無理やりに、あるいは強引に、季節は、なにか新しい時を刻んでいく。ただそこに、身を委ねればいいのに、不器用な僕は、足踏みをしてしまう。軽い胸焼けをしまいこみ、ちっとも楽しくはない、不確定な未来を待つしかないのが、現状なのだ。少し、けだるい感じがちょうどいい。まだ世界は、変わり始めたばかりだ。

カテゴリー
自分のこと

メランコリックな感情と、ディセンシーの問題

 世界は、難解な言葉づかいで、満ちている。空想のなかで、乱反射する言葉たちと光と影。その中で、僕に理解できる言語なんて、たかが知れている。心に猛烈に響く言葉は、春の風とともに、胸の奥底に吸収されていくみたいだ。いつかは、誰もがみな消えていくならば、ここに存在する魂と、愛に似た青いメランコリックな感情は、無意味にさえ思う。親にたいする敬意や尊敬を忘れてしまうほど僕は、愚かではないと胸に焼き付け、今日を生きる。

   ★    ★    ★

・姑息
 バイ・セクシュアリティーというのを、説明するのに、ひどく苦労する。そもそも、僕がバイなのかさえ、あんまりよく分かってないのに。男好きの男ですというよりも、ほんとは女の子も好きなんだけどという予防線をはって、すこしは、みんなと共有できる部分があることを強調したい僕の姑息な計算が、そこにはある。それって浅はかだし、惨めだし、いったい、何にたいして体裁を整えてるのかさえ、分からなくなる。

・ニーチェの言葉
 でも、今の僕には分かる。そんなことにこだわる必要なんて、どこにもないのだ。相手が僕のことを知って、僕が相手について質問する。そのかけあいのなかで、相互理解に達する最短距離を、導き出していけばいい。僕は、こんな人間なんですと、一言で言い表せれば、どんなに楽だろうか。同性愛者だというレッテルを貼られることに、恐れを抱いてはいけない。「最高の善なる悟性とは、恐怖を持たぬこと」と、ニーチェは語る。

・命の灯火
 ひとさまの恋愛に、興味はなくても、コミュニケーションを継続していく上で、相手に自分の話をしなければいけない状況に置かれる時がある。それは、とても窮屈なんだけど。そんなときにいつも困惑するのだけど、最近は、正直に全部話すのがいいと思い当たった。僕は今、男性とお付き合いしていると、話すことにしている。それが、後ろ指をさされようと、構わない。白い目で見られても、気にしない。それなりに年を重ねた僕は、前よりかは、大人になった。強さとも言える人生においての教訓は、まだ一人で思い悩む彼、彼女たちに届くと願っている。消えかけた命の灯火を、葬ってはいけない。

    ★    ★    ★

 いわゆる、ディセンシーの問題だ。なにが、人と人を結ぶのか。シンプルだけど、難解な問いかけは、今日も、夕日に照らされた赤子の頬の柔らかさに、呑み込まれていく。僕の、綴る文章に意味なんてない。ただ、一筋の炎が、辺りをまんべんなく灯し続けるから、その幻が消えないように、ひたすら祈り続けているのだ。

カテゴリー
思考

気持ちのかたまり

 誰も傷つけずに生きていくのは、難しい。分かってはいるけど、不意に、相手を悲しませた瞬間に、後悔するときが、多くある。僕は、いつまでたっても、不器用なのだ。できるだけ、波風が立たないように普通にしときなさいというけれど、それが、どんなに愚かで、つまらなくて、虚しいものなのかを、あなたは分かっていない。ありのままでいることが、あなたの個性を生み出すのよという言葉とはうらはらに、埋没していくだれにも届けることができなかった数々の思いたちは、春の風とともに、風化していくだろう。それらの思いを、僕は「気持ちのかたまり」と呼ぶ。

    ★    ★    ★

・重みのあるもの
 穏やかな、なにげない日常のなかで、もう僕は、宇宙の広さや、やがて訪れる死について案じることもなかった。なにもかもが足りないようで、いつまでも満たされない感情だけが、膨れ上がっていく。それは、概念と呼ぶにはあまりにも生々しく、現実的な重みをもったものだ。

・暗喩
 世界は今日も、音をたてることなく、呼吸をしている。僕も、その息づかいと連動するように、呼吸をする。夜空にかがやく星のきらめきも、うすっぺらい野原をかける風も、とぎれのない川の流れも、決して自分と無縁のところでおこなわれているわけではないのだ。僕は、だれかに理解して欲しいなんて、思っていない。「理解とは誤解の総体に過ぎない」と誰かが口にした。そんなややこしい暗喩を、ひけらかしたいんじゃない。だって僕らには、愉快な回り道をしている余裕なんて、ないんだから。今日も、少しずつ季節が回転している。

   ★     ★     ★

 これからは、シフトを変えよう。少し早いかもしれないけど、僕は、ゆるやかに死に向かう準備をしなくてはならない。そんな大げさなことじゃなくて、ただ心の持ちようの問題だ。生きることだけに、多くの力を割くというのは、案外しんどいのだ。僕にとっては。
 その人自身の人生の価値なんて、誰にも分からない。あるいは、成功ではなく、その破れさりかたによって、本当の価値が定まると、僕は思っている。当然のことながら、だれもが限りある存在なのだから、いつかは終わるのだ。それを待ちわびる余生があって然るべきだと、季節を象徴するかのように、緑を揺さぶる風が、教えてくれた。

カテゴリー
思考

クリシェを、更新する

 夜空を見上げたときに感じる、大きな虚無感は、いったい、いつになれば、消えてなくなってしまうんだろう。ふと顔をだす、ちっぽけで愚かな自分。そんなに思い悩む内容でもないのに、しばらく、考え込んでしまう。点在する星の光からは、伺え知れない程の、闇深い紺色の空が、延々とつづき、それが、宇宙へと続いているのだなと、感慨深くなる。人は、無限のさきにある最果てを見ようと、必死になって思考してきた。それは、とてもロマンチックだと思う。

   ★    ★    ★

・性差について
 フェミニズムについて、詳しく知りたいと思うようになったのは、いつからだろうか。僕が、物心がついたときから、足と足のあいだの突起物は、存在していた。どうやらそれは、性別を判断する、あるいは、ずっと、これからも、付き合わなければならない身体だと、認識しはじめる。そして、この社会には、それを所持しない生き物がいることを知る。彼女らは、性別を理由に、なにかしらの不遇を余儀なくされている。そのことについて、憤慨したことが、僕の学問にたいする考えを、深めたのではないかと、分析している。

・男社会を、ぶっつぶす
 女性が、選挙権すら、与えられていない時代は、もう終わったのだと、声を大きくして、叫ばなければならない。男性だけが、地位や名誉を手にし、女性は、意志決定をおこなう場に、ふさわしくないという社会なんかで、生活するのは、ごめんだ。正義は、紙に並ぶ文面に存在しているのではない。女性の賃金がいくらかということを問うことを、ただの机上の空論にすべきではない。あなたが不幸なのは、性別に関係なく、個人の能力の差ではないかという理論は、やや横暴な語り口だ。どこをみても、男社会が蔓延している状況が憎ましい。男性が悪いと言っている訳ではない。男として生まれついて、あたり前のように自分の夢を語り、実行していく人間の、他者への想像力の欠如が、僕の心持ちをかき乱す。

・変えていく
 そんな男を愛するのが、女性という生き物だと、あなたは思うかもしれない。でも、僕は男性を想う感情と、男性に抱く嫌悪感は、矛盾しないと考えている。たぶん、セックスで頭がいっぱいの男性を、あるいは、その欲望をあっさりと満たしてしまう男性を、そして、女性がセックスをしたいと発言することじたいを批判する社会を、変えたい。

    ★    ★    ★

 男は男らしく生きることを、求められて、女は女らしく振る舞うことを、強制される。男女の固定的で、一枚岩のステレオタイプを、どこまで崩していくことができるかが、これからの時代に求められている。でも、いくらさまざまな概念を知りながら大人になっても、自分の中にある男らしさや、女らしさを目の当たりにする瞬間は、消えそうにない。性差別的なクリシェ(パターン)を更新していくことが、今後いろんな差別や偏見を拭う一歩になるように、思う。

カテゴリー
日常・コラム・エッセイ

いちごの色

 赤いいちごが、ショウウィンドウに、たくさん並べられている。街の行き交う人々は、その果実には、目もくれず、目的地へと、足早に歩行をつづけている。その中で、ガラスケースのなかの宝石のように輝く生鮮物を、穴があくくらい、熱心に見つめる僕は、都会の片隅で、ただただ浮いているように思えた。

 なぜ、彼らは、こうして、色鮮やかに、発光しなければならないのかを考え込むことをやめ、あてもなく、洗練されたビル街を、彷徨うよう途中で、目的の買い物を、すっかり忘れていたことに気づく。でも、それを買い忘れたところで、たぶん、なにも支障はない。きっと、それは、今日起こる出来事のなかで、たいして、重要なことでなないのだろう。真っ赤ないちごを、眺めることと、おなじくらいに。

カテゴリー
思考

クロノロジカルな時間

 僕は、男だ。女じゃない。べつに、それを、選んだわけじゃないけど。戦争に巻込まれたことはない。そんな時代に生まれたことを、幸福に感じるのもいいだろう。僕は、同性愛者だ。それを、選択した訳ではない。なのに、なぜ、こんなにも僕の人生を深くえぐるように、地響きをたてるんだろう。ありとあらゆる因果のなかに放り込まれた僕は、ここで、必死に生きることを、強制されたようなもんだ。このはかない命の無意味さは、どこまでいっても、とどまることを知らない。

    ★     ★     ★

・共感
 理解できないことだらけの世界において、とある階級に産み落とされた奇跡を、手放すのは、たぶん違う。そこが、どんなに苦しい場所でも。嫌なら逃げればいい。基本的に、どんな事柄にも、意味なんてない。お互いに、反発しあっても、なぜ、存在するのかという迷いに襲われても、途方にくれることはないだろう。毎日を、必死で生きぬくしんどさは、少なからず、共感できる部分があるはずだ。

・想像力の欠如
 たとえば、若い女であることのしんどさを、あなたは、想像したことがあるかと、問い続けなければならない。すがるものがなく、貧困に苛まれるシングルマザーのいらだちを、ののしりを、聞いたことがあるだろうか。なぜ、こんなにも想像がゆきとどかないんだろうと嘆く日常は、音を立てることなく、静寂に包まれている。そんな人生を選んだあなたに、責任があると言うかもしれない。「自己責任」という名の理論のもとで、構築される偏見は、名もなき人々を、傷つけている。

・しわよせが、いく
 ようは、僕がここで言いたいことは、自分からすすんでおこなったことの結果を、どのくらい引き受けなければならないかということだ。しわよせは、いつも弱者やマイノリティーに降り掛かり、引き受けなくてもよいような責任を、問われる状況があるという事実から、目を伏せてはいけない気がする。

   ★    ★    ★

 人が、何かを語るとき、できるだけ、順序立てて説明しようとする。でも、そんな努力もむなしく実際は、印象の軽重に、関心が向けらることが、多くある。クロノロジカルな時間が、一定しないことを、どう読みとるベきだろう。社会構造や制度の歴史を含んだもののなかに存在する、多様で、流動的な事実から浮かび上がる感情を、無視して、僕らは、世界を理解することはできない。

カテゴリー
社会の出来事

問いをずらす

 LGBTという言葉を耳にするようになって、久しい。どうやら、社会には、そういう人たちがいるようだと、認知されはじめている。少なからず、嫌悪を抱く人、変な人だけど害はないので程よく距離を置く人、差別や偏見と向き合い、正しい知識を啓蒙しようとする人など、いろんな人たちがいる。あたりまえだけど。
 僕たちの社会は、いくぶん、他者のありかたを、尊重しようと、努力していると思う。男性が男性を好きになろうと、女性が女性を愛そうと、好きにすればいいというスタンスは、崩さない方がいいだろう。けど、こうしてブログで、自らのセクシャリティーを語り、同性愛について言及することが、非常に困難な時代があったことを、忘れちゃいけない。権利を、勝ち取るために、それが、波風を立てようとも、それを嫌がる人がいることを、知ってながらも、闘いを、挑まなければならないときがくることを、知っておくべきだろう。

     ★     ★     ★

・自民党・平沢勝栄議員の発言について
 「同性婚を認めないわけではない。でも、この人(LGBT)たちばっかりになったら国はつぶれてしまう。」
 この発言を聞いたときに思ったのは、やっぱり国を動かす人で、いわゆる、いい大学を出て、勉強を一生懸命してきた人の中には、頭の固い考えの人が、多かれ少なかれ、いるんだなと、落胆したのである。性的志向は、みずからの意思で、変えられるものではないということは、もう広く知られている(と願う)だろうし、そういった批判は、甘んじて受ければいいし、なんなら、正しい知識を深めてもらえばいい。

・這いつくばって、生きる
 問題は、この人が、一般人ではなく、公人であることだ。なにも、国になにかして欲しいと言ってる訳ではない。選択として、同性婚があればいいなと思うし、別に、異性愛者の権利を、剥奪しようなんて思ってないし、秩序を重んじる日本社会に、混乱を、もたらそうとも、思ってない。僕は僕で、不器用ながらも、必死に、這いつくばりながら、生きていこうしている。

・公人としての、覚悟
 本来なら、政治は、もがきながら人生を歩んでいる人の背中を押し、不条理な悲劇を減らしていくものだと思う。僕は、公人として、生きていく人の覚悟をみたい。これから日本をどういう国にしていきたいのか、ビジョンを示して欲しい。想像力の欠如は、なんの落度のない人を傷つけるだろう。高度経済成長を終え、どうやって食っていこうかとシビアな問題も、たしかにある。でも、やっぱり、現代社会は、めまぐるしく変わっていくことは、避けられない。そんな時代に、少しでも、希望をまいていこうとするのが、政治家の仕事なんじゃないだろうか。

     ★    ★    ★

 平沢議員の誤解について、あれやこれやと、噛み合わない議論をしたいんじゃない。短絡的な思考に陥るのではなく、ときには、問いをずらすのも、いいだろう。大事なのは、彼が、何を言っているのかだけに注視するのではなく、彼が、なぜ、そういう思考に至ったかを、分析するべきだと思う。個人の価値観、バックグラウンドは、多種多様だ。多様性を重視する社会なら、結果として、誤った発言を糾弾するのではなく、今後の道しるべとして、どう役立つかを考えるべきだ。