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思考

イマジナリーに、終わらない

 どうやって社会の変化を解釈しようかと、躍起になっている人たちがいる。急速に変わっていく世の中は、知ってか知らずか、あざ笑うかのように、彼らを黙認しているようだ。いったい、どれだけの人間が、幸福な未来を描けているのだろう。もし、仮に自殺した人の声をきけるのだとしたら、あなたは、どんな問いかけをしたいのかを思考するといい。そこには、きっと自分がどんな風に生きて、そして、死んでいきたいのかという複雑な考えが、絡み合っている。

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・吐露する
 貧困に苛まれる国民、豪遊するお金持ち、政治に無関心な若者、いわれもない差別を受けるマイノリティー、普通に振る舞いなさいと教育される子どもたち、みずから命を絶とうとする精神障害者、青春を謳歌する学生、大人になりきれない大人、余生を送る高齢者、悟りをひらいた僧侶、誰しもに思い当たる、基本的属性は、虚しく台所にあるシンクの水路に流されていく。もう、男をやめたい、女であることに疲れたと、吐露するのも、たまにはいい。どうやっても捨てきれない、自分の本質に苦しむあなたは、けっして、愚かではないはずだ。

・声を、あげよ
 学歴や職業、年齢、性別、国籍によって、どんな風に、扱われるかが、左右されるのは、かならずある。案外本人は、その属性のせいだと気づかない。「僕は○○だから、こんなひどい扱いをうけたんです」というのは、言い訳ではない。差別が、もしそこに実在したのなら、それは声をあげなければならない。けっして、自分を責めるんじゃなくて。

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 他人を理解するのは、難しい。なんでお前は、そんな馬鹿なことをしてるんだと思う時は、多々ある。特殊な体験をした人の話を聞いて、自分なりの解釈を加え(もちろん、一方的なものではなく)、社会背景と関連づけて文字にする作業は、いわゆるアカデミックな世界で、滞りなく行われている。そんな文章は、イマジナリーな役割でしかないという批判は、当然ある。でも、そこにある事実なんて、あってないようなもんだと決めつけるのは、愚行だ。
 いま、当事者たちが語る物語性に、耳を傾けなければ、いったい、どうやって歴史を認識すればいいのか、途方に暮れる。その人の人生に降り注ぐ、希望や不安が、たとえ目に見えなくても、現実社会に押しつぶされないように祈ることを、忘れたくない。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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