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思考

気持ちのかたまり

 誰も傷つけずに生きていくのは、難しい。分かってはいるけど、不意に、相手を悲しませた瞬間に、後悔するときが、多くある。僕は、いつまでたっても、不器用なのだ。できるだけ、波風が立たないように普通にしときなさいというけれど、それが、どんなに愚かで、つまらなくて、虚しいものなのかを、あなたは分かっていない。ありのままでいることが、あなたの個性を生み出すのよという言葉とはうらはらに、埋没していくだれにも届けることができなかった数々の思いたちは、春の風とともに、風化していくだろう。それらの思いを、僕は「気持ちのかたまり」と呼ぶ。

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・重みのあるもの
 穏やかな、なにげない日常のなかで、もう僕は、宇宙の広さや、やがて訪れる死について案じることもなかった。なにもかもが足りないようで、いつまでも満たされない感情だけが、膨れ上がっていく。それは、概念と呼ぶにはあまりにも生々しく、現実的な重みをもったものだ。

・暗喩
 世界は今日も、音をたてることなく、呼吸をしている。僕も、その息づかいと連動するように、呼吸をする。夜空にかがやく星のきらめきも、うすっぺらい野原をかける風も、とぎれのない川の流れも、決して自分と無縁のところでおこなわれているわけではないのだ。僕は、だれかに理解して欲しいなんて、思っていない。「理解とは誤解の総体に過ぎない」と誰かが口にした。そんなややこしい暗喩を、ひけらかしたいんじゃない。だって僕らには、愉快な回り道をしている余裕なんて、ないんだから。今日も、少しずつ季節が回転している。

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 これからは、シフトを変えよう。少し早いかもしれないけど、僕は、ゆるやかに死に向かう準備をしなくてはならない。そんな大げさなことじゃなくて、ただ心の持ちようの問題だ。生きることだけに、多くの力を割くというのは、案外しんどいのだ。僕にとっては。
 その人自身の人生の価値なんて、誰にも分からない。あるいは、成功ではなく、その破れさりかたによって、本当の価値が定まると、僕は思っている。当然のことながら、だれもが限りある存在なのだから、いつかは終わるのだ。それを待ちわびる余生があって然るべきだと、季節を象徴するかのように、緑を揺さぶる風が、教えてくれた。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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