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思考

ニルヴァーナで会おう

 社会を、正しく知覚しようとすれば、するほど、訳が分からなくなる。外で、けたたましいサイレンが、響く。部屋の中で、瞑想するみたいに、天井のシミを眺めていた。どうして、僕は、いま、ここにいることを許されているんだろう。あるいは、許しを得た命というものに、どれだけの価値が、あるんだろう。たぶん、今日も、どこかで、誰にも届かない声を押し殺して、耐え忍びながら、日々を送る人間が、たくさんいる。そこに、フォーカスしない言論は、嫌いだ。

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・金と権力
 富が、十分に行き渡っていない場所がある。困窮している者は、何を手にしたいと、思っているんだろう。もし、そのすべてが金と、権力だと決めつけるなら、たぶん、あなたは、この世界のことを、誤解している。黒人が、権威をもつことは、間違っている。同性愛者の、人権なんて、どうでもいい。障がい者が、選択できる人生は、たかが、知れている。標準からずれる人間は、無価値に等しい。それが、社会を窮屈にしていく。だから、僕は、はっきりと言う。欲しいのは、名誉じゃなく、不平等が、既に存在していることを認識する知性だ。

・世界は、すでに救済されているのか
 この一瞬が、気持ちよければ、それで良い。これまでの歩みや、過去に縛られるのなんて、まっぴらごめんだ。韓国との歴史問題、そんなの、知ったこっちゃじゃない。そう考えると、ある意味、生きやすい。だって、全体を見渡すことをしないから、自分が搾取されていても、気付かない。救済を求める声が、かき消されていく。だけど、いったん、立ち止まる。「普通である」ということが、一番いいとする風潮。必死になって、規範を守り、他の人と同じでなければいけないプレッシャーに苦しむ。そんな、生き方を、ぶっ壊してく。それこそが、ここで発信しなければいけないことだと思っている。

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 「世界」という言葉が、含有する意味って、なんなんだろう。遠い異国のことかもしれない。あるいは、宇宙のことかもしれない。でも、まちがいなく、その中心にいるのは、自分という存在だ。僕が、ここで、噛みしめている命は、いつか、尽きていく。多種多様な欲望も、憧れも、理性も、なにごともなく、消え去っていく。だから、もし、永遠を手に入れることができなくても、ニルヴァーナ(死後の世界)で、お会いしましょう。きっと、それが、生きていくことの、醍醐味だと思うから。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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