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思考

レストルーム

 宙に舞う綿ぼこりが、まるで、意志を持ったかのように、風に揺られている。それの行き着くさきは、たぶん、この地球上のどこでもない別次元だ。そして、最期には、役目を果たしたかのように散っていく。僕も、そんな風に、生きてみたいと願うのは、ややロマンチシズムに偏りすぎだろうか。

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・労働者として
 本当は、もっと夜更かししたいけど、明日も仕事だから、早く床につく。自分の時間を自由にすることさえ、ままならない現状は、変わりそうもない。ずっと、僕らを縛り付ける労働が、暮らしのなか存在することが前提とされる。どうして、働くことに多くの時間を費やしてきたのかを、年を取って気付くにちがいない。それよりも、するべきこと、学ぶべきこと、育むべきことが、あったはずなのに。その日暮らしの金を稼ぐことで精一杯の労働者は、息つく暇もなく、死んでいけというのだろうか。

・トリガーが呼びだされるとき
 突然のようにトリガーが呼び出され、それに端を発して、言葉をやめない人間が語る真実は、静かに誰かの胸の奥に仕舞われる。みずから語ることによって、トラウマのような出来事が表面化する。そんな瞬間が、好きだ。だから、他人の語りを、蔑ろにするな。どんなにどん底にいても、その環境のなかで居場所を見つける機能が、幸か不幸か、僕らには備わっている。苦境にたつ者はみな、自分の努力が足りないからだと、言いくるめられる。でも、本当に、この社会を支えているのは、まぎれもなく日々、汗を流して働く労働者であることは、明白だ。

・弱くある
 生産性を突き詰め、利益を最大化することに躍起になる僕らは、すこし疲れている。資本主義の世の中なんだから、仕方ないじゃないと、あなたは言う。行き過ぎた市場主義は、なにもできない者を、まるで悪として扱う。でも、その主張にたいして、いくらでも反論の余地はある。何もできないことを、声高にして訴えればいいし、それでも幸せになるんだという意志を示せばいい。弱いものは駆除されていき、賢いものだけが生き残るのが、この世の常というのならば、それはもう、野蛮な生き物でしかない。

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 子どもをつくらない同性愛者だって、働くことのできない障がい者だって、生き抜いていかなければならないのだ。この荒れ狂う大地の上を、あるいは、この近代という時代を。でも、その道のりに、休息の場を設けられるはずだ。政治が役割を果たせばいいし、隣人の手助けを借りたっていいし、行政のサービスを受ければいい。どうか、死ぬなんて思わないで欲しい。シンプルで、あたり前のメッセージを発信するのは、退屈かもしれないけど、重要だ。世界が少しでもよくなるようにと願わずにいられない誰かの善意が、見ず知らずの人を救う。そんなことが、あってもいいと思う。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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