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思考

果肉に満ちる思想

 この世界は、全部、空想なんじゃないかなって、思う時がある。つまり、目に見えているすべてが、じつは偽物で、その中で、四苦八苦しながら、もがいている、人間の不安定な自我というのも、偽物のがらくたでできている。でも、やっぱり、変わらずに、朝がきて、この社会に、意味を持たせるかのように、ありとあらゆる事象に、光を、降り注ぐ。

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・火種
 僕は、本との巡り合わせを、信じている。あまり、興味の引かないものだとしても、ある日、人に勧められて、手にした書物が、とても面白かったり。その言葉こそ、今の僕が、必要としていたものだという出会いが、ある。けど、読書することにたいして、答えは、求めない。一定の解決を、もたらしてくれることがあったとしても、救われたりなんかしない。それ以上に、より多くの新しい「問い」が触発されること、熱望している。そんな体験の積み重ねが、社会を変える、火種になるのだ。

・魂の解放
 <近代>という時代が成熟し、解体し、その彼方までも、この本は、古くなるということがないのはどうしてか、という問いに、立ち向かうのもいいだろう。見知らぬ他者たちの間で、反響する新鮮な「問い」。魂が、広々とした空間を駆け抜け、あの時空の彼方まで、解放される作用が、発生してこそ、ほんの少し、明日への希望となる光を、つかみ取ることが、できるのだ。

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 本を読むのに、別に、頭がいい必要なんてないし、とくべつな前提知識も、必要としない。ただ、人生と世界にたいする鮮度の高い感受性と、深く、ものごとを考えようとする、欲望だけを、もちあわせていればいい。なにより、僕が、読書に惹かれるのは、表現という氷山の、もっと下の部分の巨大さの予感のごときものに、ぶちあたってしまったからかもしれない。自分で意識して考えたことなんて、ちっぽけなものなんだろう。その作家の本を読むということは、その人間が、何を、生きたかということを、覗き見ることだ。そこに、紡ぎだされている言葉たちを、噛みしめながら、果肉にみちている思想を学ぶ。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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