カテゴリー
思考

国境を、越えて

 その社会に生まれ、そこで生きていくことになる。この事実が、重い。どうして、経済的に豊かな国と、そうでないところに生まれた人々の格差を、何事もなく、見過ごさなくてはならないのだろう。
 もちろん、国境線は、法的な意味を持つ。けれど、僕たちのアイデンティティの感覚は、単に、国境の内側だけに、限られるわけではない。同じ宗教、人種、性別、政治的信条、職業を持つ人々を、仲間と思う。ときには、関係のない人へ、思いを馳せるときもあるのだ。

   ★   ★   ★

・偏狭主義の、克服
 他人に、寛容で、親切であることは、素晴らしいことだ。でも、隣人ではない他人に対して、何の義務も負わないと、論じることは、やや、せばまった考えではないだろうか。もし、他者(近くの人であっても、遠くの人であっても)に対して、何かを負っているなら、たとえ、その義務が、非常に、曖昧なものであったとしても、慈悲深い人道主義の領域に切り離すのではなく、僕たちの正義についての思考の範囲内に、含めるべきだ。
 結局、僕がここで言いたいことは、自分が属するコミュニティだけに、優しくするのではなく、それ以外の場所にいる他者にも、同じようにするということである。僕たちの選択と行動は、遠くの人々の暮らしにも、影響を与えるのだ。それを、忘れてしまえば、自分自身の偏狭主義を、克服することはできない。

・好き嫌いで、論じる
 たとえば、経営者か労働者か、女性か男性か、保守主義者か社会主義者か、金持ちか貧しいかなど、多様なグループが存在する。今、自分が属しているグループだけが、利益を得ればいいという考えは、はっきり言って、嫌いなのだ。グループに属していない人々の声を、排除することが、まかりとおっているようでは、僕らが目指すべき社会とは言えない。

    ★    ★    ★

 世界中で、何十億という人々を、苦しめている、経済危機を、どのように、克服するのかについて、議論を行っているまさにこのとき、国境を越えて、互いに、理解し合えないという主張を、受け入れることはできない。むしろ、こんな時代だからこそ、遠くの人の声に、耳を傾ける必要があるのだと思う。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です