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思考

昼と夜

 自分は、何者で、どこから来たのかという問いに、立ち向かうには、少し体力が、足りないようだ。疲れたときには、何が、自分のものとされるのかという、命題に立ち返るのがいいのかもしれない。それは、できるかぎり、具体的な答えに、辿り着く近道にもなりうる。

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・所有 
 所有という概念には、様々な矛盾が、含まれている。何によって、それは、正当化されるのか。あるいは、それによって、何ができ、何を拒否できるのか。生まれてきた生命は、皆平等だという。しかし、実際には区別している。問題は、なぜ境界を、設定するのかにある。
 世界には、数多くの主張、思想が存在する。けれども、結局、いろいろやってみて分かったように、「市場経済」で行くしかないのだし、行くのがよいのだろう。大きい格差が、生まれれば福祉を充実して、何か手を打てばいい。それで、平穏無事に、終わる。しかし、それを、なにごともなく、受け入れていいのか。

・近代化
 「能力主義」に、反対しているのではない。価値のあるものには、相応のお金が、支払われるのが良いと思う。あるいは、年齢、性、人種、家柄等の個人の能力や、努力によって変えられない生まれに、基づいて、評価し処遇する「属性原理」など、まっぴらごめんだ。「属性原理」から「能力主義」への移行を、私達は、近代化と呼ぶ。
 実際はどうか。どのようにして、人の地位は、決まっていくのか。本当のところは分からない。「能力主義」と「属性原理」の、どちらかが優越しているのか、あるいは、決まっているとしたら、どのような理論で成り立っているのか。どれも、あいまいなことだらけである。でも、それがいま、僕たちが、暮らしている社会なのだ。

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 難しい話をしても、世界が、よくなる気配は、いっこうにない。そういうときは、どうしても、小説を、読みふけりたくなる。人は、貧弱な真実より、華麗な虚偽を、愛するのだ。優れた知性とは、二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を、充分に、発揮していくことができるといったものである。けれど、たとえ、どんなに卓越した理性を、揃えたとしても、昼の光から、夜の闇の深さを、表現することはできない。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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