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自分のこと

渡り鳥のように

 テレビは、相変わらず、世の中の動きを、鮮明に、映し出している。それを、リビングで眺めながら、黙り込む。たれ流しになっている情報が、どれだけの人の脳に、刷り込まれて、そこから派生した感情は、どこに向かうのだろう。

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・奇妙なこと
 せっかく、過去の記事で、自分のセクシャリティーについて語ったのだから、それについて、何か書こうと思っても、特に、思いつかない。それは、ゲイというアイデンティティーが、僕の、ほんの一部分にすぎないのだということが、分かる。問題は、そうだとしても、なにかしら、書けと迫られる、あるいは、説明することを余儀なくさせる、空気感に、あるのかもしれない。
 そもそも僕は、カミングアウトという言葉が、好きになれない。たいそれた名前をしているけれども、個人的には、そんなことをしなければ、自分について、語れない社会のほうに、問題があるんじゃないかと思っている。だって、わざわざ、あらためて、性的指向について、他人に、語らなければならないって奇妙だし、それが、どれだけ、当事者に、プレッシャーをかけていることを、想像できない世の中なんて、どれだけ、せちがらいんだろうか。

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 人の心と心が、時間の経過に沿って、くっついたり、離れたりするものだというくらいのことは、もちろん、わかる。人の心の動きというのは、習慣や常識や法律では規制できない、どこまでも、流動的なものなのだ。たしかに、人生の一部分を交えた相手が、他のだれかと、付き合うことになることなんて、多々ある。ハッピーエンドの映画の結末のようにならない人生に、辟易したとしても、国境という概念を持たない渡り鳥のように、自由になれる日を、待ちわびながら、眠りにつく。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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