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思考

永眠を、想像する

 一日の終わりに目にするニュースが、日に日に、意味のないものに、なりつつある。なぜだろう。なにを聞いても、心に響かないというか、なぜ、それを、多くの人に伝えようと思ったのかを、伺いしることができない。そもそも、世界中で起きる出来事の中で、報道されるべき意味をもつものなんて、10年に、一度あったらいいほうにちがいない。それでも、習慣として、テレビから流れる情報に、耳を傾けることが、生活の一部になっている。いくら、関心がないからといって、たとえば、地球が今まさに、破滅の淵にあるというのに、僕だけが、それを知らないでいるとなれば、それは、やはり少し、困ったことになるかもしれない。

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・可能性を、抱く
 僕が思うには、いささか、本当のことを知ることに、価値をおきすぎている。だから、あれやこれや、誰が悪いだの、責任は、どこのどいつにあるんだとかを、追求したがる。彼らは、真実が、だれにとっても、幸せを運ぶと、勘違いしている。真実は、むしろ、混乱をもたらし、どれほど、深い孤独を、人にもたらすのかを、考慮しない。ひとつの可能性を、心に抱いたまま、これからの人生を生きていこうと考える人は、世の中で繰り広げられるスキャンダルに、一喜一憂している彼らを、滑稽にみているのだ。

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 想像の力は、限りなく無限だ。いずれ、誰しもに訪れる、永眠へのプロセスについても、推し量ることができる。亡くなった人の声は、僕らには、届かない。だから、死について語ることは、どれも想像にすぎない。あるいは、妄想だと言ってもよい。
 もちろん、今すぐに、死にたいわけじゃない。ただ、頭の中で、思い浮かべるだけだ。死というものを、仮説として、もてあそんでいるんだ。明日も生きることが前提となっている、まだ、希望や可能性に満ちているといえる僕らが、できることなんて、たかがしれている。でも、だからこそ、想像する力が、今まで以上に、求められている現状が、目の前に、横たわっている。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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