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思考

「女性の社会進出」について関心がある理由(一)、あるいは物語の行方

 人間は、普遍的なカテゴリーとして、「男」であったり、「女」として、存在していたことは、ありません。それは、自らを語ろうとするときに、他者との関係を、抜きにして、語ることは、できないからです。「男」とは何者で、「女」とは何者なのかは、歴史的文脈の中で、条件付けられます。たまたま、テレビで、「女性の社会進出」について、議論されていたので、考えることにしました。

 他者との関係性の中で、何かを理解したり、行動したりする、わたしたちが、自らを語るとき、何らかの、物語をなしに、話すことはできません。比喩として、作用する物語に沿う、規範的な、生き方から外れる人を、社会的に、排除しようとすることは、よく見られることです。父が、外で仕事をし、母が、家事をする核家族を中心として、構成される社会の在り方は、ひとつの物語にすぎません。システムの中で、再生産され続ける、普遍的な、価値観を疑ってみることは、重要なのかもしれません。

 「女性軽視」の問題は、歴史の積み重ねによって、作られてきた、物語の、負の部分であることは、言うまでもありません。僕が、抱える生きづらさと、女性が抱える問題に、関係がないとは言えません。これからの日本社会で、女性の生き方がどのように、変化するのかは、分かりません。それは、最後まで、読み終わらないと分からない、物語の行方ように。そして、その問題は、これから、僕が、どのように、生きていくかという問題と、似ています。次回に、続く。

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社会の出来事

社会の出来事、あるいは雨雲のでき方

 繰り広げられる、階級闘争によって、抑圧された人が、います。語ることのできない人の声を、誰が伝えるのか。民族、人種、教育、社会、文化によって、階層づけることで、様々な差別を、生んできたことは、歴史上、めずらしいことではありません。声を出せない人が、搾取する側に伝えるとき、不条理な暴力が、生まれずにすむ方法を模索する。あるいは、狂気ともいえるその行為は、雨雲のように、出てきては消えてを、繰り返すようなものなのか。そして、破局は、避けられないものなのかを、考える必要があります。

 就職をせずに、大学を卒業して、アルバイトをして、ふらふらしている人間が、社会の出来事について、語ってもという思いもあります。でも、こみあげてくる思いがあるので、書いてみたいと思いました。「同時多発テロ事件」から、14年が、経ちました。なぜ、テロリストと呼ばれる、彼らが、そのような行為を、しなければならなかったのか。声を、抹消されている人への、抑圧や、暴力を、無視しつづける。そこから、抜け出すには、どうしたらいいのか。そういった、自分への問いかけに、このブログとともに、誠実に、向き合っていけたらと思います。

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日常・コラム・エッセイ

悲しみの、先

 仕事をしていく上で、どんな時に、やりがいを、感じるのか、考えたことがありました。新しいことに向き合う時は、知らないことを分かろうとして、今まで知らなかった自分に、なっていると、感じます。継続して、反復して、実行する。僕が、手にしたいものは、成長なのかもしれない。

 生きているうちに、何度か、大人になる瞬間が、あると思います。タバコを吸う。セックスを、経験する。親しい人の、死に、遭遇する。もちろん、悲しいこともある。だけど、今まで、知らなかったことをしていく、新しいページを、開くような感覚みたいだ。その瞬間が、多いほど、充実しているような気がします。どんなふうになることが、大人になることなのか、よく分からない。それでも、生きることから、絶望を、払拭していきたいです。

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日常・コラム・エッセイ

レンズを、構える

 文章で、自分の考えを、伝えている人に、憧れています。大学を卒業して、フリーターとして、働いている人は、多くいると思います。このブログでは、そういった人が、どういうように考えて、日々、生活をしているのかを、伝えることができればと思っています。

 伝えることを、大切にしたいです。なにかを、伝えようと、意気込むことは、ありふれた、風景を、レンズ越しに、みるような感覚です。そう、構えることによって、被写体の、輪郭が、自然に、浮かびあがってきます。何を、伝えようか、よく考えたすえに、行き着く場所なんて、たかが、知れている。だけど、相手のことを、少し、理解できる瞬間が、好きです。(それは、僕のひとりよがりかも、しれないけど。)このブログを、どんな人が、見ているのか、想像もできないですが、続けていきたいと思います。

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日常・コラム・エッセイ

人は、思うとおりに生きるべきだ

 一人での海外旅行は、旅行を楽しむのは、もちろんだけれど、今まで、していないことへの、挑戦の部分が、大きかったです。行く前日は、不安が大きくなり、なぜ旅行の代金を払って、こんな思いを、しなくちゃいけないのかと、思うこともありました。それでも、以前からしてみたいと思っていた、海外への渡航を、現実にしたかったのです。

 人生が、思うとおりにならないものだとしても、人は、思うとおりに生きるべきだと思っています。スペインから帰国して、1ヶ月ほど経ちました。海外で感じた感情が薄れていき、過去のものになろうとしているのを、感じるのは、寂しいです。でも、これからも、未知の体験をするチャンスは、あります。成長できる機会を、大切にしたいと思います。

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日常・コラム・エッセイ

異郷の地、スペイン

 スペインに、旅行にいってきました。行ったこともない異郷の地で、一人で無事に帰ってくることができるのか、不安がありましたが、無事に帰国することができました。行く前は、これから、どんなことがあるのかという希望と、英語も話せないやや無謀な挑戦への、不安が入り交じっている状態でした。現地に着き、雑誌の地図を頼りに、バルセロナの市内を観光しました。とても刺激的で、思い出すと、まだ少しどきどきします。思い切って、海外に一人で行く決断をして良かったです。

 旅の目的は、アントニ・ガウディが建築したとされる、世界遺産のサグラダ・ファミリアを、観光することでした。ガウディが、生涯を捧げて建築した教会を、一度、見てみたいと思っていました。海外旅行の体験をして、自分が何か変わったかは、まだ、分かりません。スペインでの出来事を、理解しようとして、考えている最中だと思います。海外での体験を、これからに活かすことができると良いです。