カテゴリー
思考

「女性の社会進出」について関心がある理由(一)、あるいは物語の行方

 人間は、普遍的なカテゴリーとして、「男」であったり、「女」として、存在していたことは、ありません。それは、自らを語ろうとするときに、他者との関係を、抜きにして、語ることは、できないからです。「男」とは何者で、「女」とは何者なのかは、歴史的文脈の中で、条件付けられます。たまたま、テレビで、「女性の社会進出」について、議論されていたので、考えることにしました。

 他者との関係性の中で、何かを理解したり、行動したりする、わたしたちが、自らを語るとき、何らかの、物語をなしに、話すことはできません。比喩として、作用する物語に沿う、規範的な、生き方から外れる人を、社会的に、排除しようとすることは、よく見られることです。父が、外で仕事をし、母が、家事をする核家族を中心として、構成される社会の在り方は、ひとつの物語にすぎません。システムの中で、再生産され続ける、普遍的な、価値観を疑ってみることは、重要なのかもしれません。

 「女性軽視」の問題は、歴史の積み重ねによって、作られてきた、物語の、負の部分であることは、言うまでもありません。僕が、抱える生きづらさと、女性が抱える問題に、関係がないとは言えません。これからの日本社会で、女性の生き方がどのように、変化するのかは、分かりません。それは、最後まで、読み終わらないと分からない、物語の行方ように。そして、その問題は、これから、僕が、どのように、生きていくかという問題と、似ています。次回に、続く。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です