カテゴリー
思考

這いつくばって、叫ぶ

 汗だくになりながら、部屋の掃除をする。窓の外では、湿った空気と、乱反射する日光が混じり合い、夏が来たことを、みなに告げる。その瞬間、僕らは、また、この季節がやってきたんだなと、過去の記憶と対峙することになる。これまで過ごしてきたあれやこれやは、けっして、生易しいものではなかった。だけど、都合のいいことに、幸福な時代しか、思い返さないのは、不思議だ。
 苦しかったときの自分。あのとき、どのようにして、今日をやり過ごしてきたんだろう。息苦しいほどに、何か答えを求めていた気がする。意識の空白が、怖かった。なにも考えないことは、すなわち、無や、非意味に近づく。それを、受け入れることでしか、安定はこないと、今なら、分かる。さあ、まだ見ぬ明日へ、これまで、過ごしたことのない夏へ。

    ★   ★   ★

・含有される意味
 僕は、とりあえず、無口だった。「シャイなんだね」と言われることもあった。黙ることで、この世界のルールに巻き込まれないようにしていたのかもしれない。あるいは、口から発する言葉、全てに、意味が含まれると勘違いしていたのだ。なにかを話すことが、誰かに影響を及ぼしてしまう。傷つけたり、誤解されたり、嫌われたり。それはなんとも、生きづらいのだった。ようは、なんの意図も込めずに、思ったことを、喋る。そんな簡単なことが、僕には、できなかった。
 意味があり過ぎる言論は、敬遠される。そう、思っている。そこに含有される意味を、読み解くのが、面倒だからだ。ようは、自分の頭で考えることが、できないのだ。悲しいけれど、現実はそう。だから、相手を気遣いすることを、まったくしない(悪意にまみれていると言っていい)、こちら側が何も考える必要のない、分かりやすくて単純な意見が、支持を集めたりする。ただ、言っておくが、この世界は、あなたが思っているより複雑で、思慮深く、やむにやまれぬ理由で、溢れている。それを、見落とすことが、どんなに、もったいないかを、僕は言いたい。

・それぞれの正しさ
 みなが、自分は正しいと思っている。それは、それでいい。多種多様な意見で溢れればいい。ただ、である。その各々の正しさを、戦わせることで、快感を覚える輩がいる。相手を論破しないと、気が済まないらしい。その類の人間にかぎって、私は賢いと思っている。厄介なことに。頭がいいとか、悪いとかは、本当にどうでもいいことなんだが、自分が、相手より優位に立っているか、そうでないかを執拗に執着したり、相手が下だと思うと、横柄な態度をとる。僕が、苦手なタイプである。
 百歩譲って、そういうやつが、いてもいい。だめなことは、彼らのような者が、権力をもったときである。権力のありかの、正当性を問うことが必要である。たしかに、お金は必要である。一定の豊かさはほしいし、何で食っていくかというシビアな問題もある。けれど、だからといって、俺は、日本をこれだけ経済成長さしてやったぞと、ふんぞり返られては、困る。そこに、あなたが権力を握る根源はないからである。言うまでもなく、選挙で、僕らは、政治家を選ぶ。

   ★   ★   ★

 実際のところ、日本経済は、停滞している。下り坂であることは、間違いない。けれど、他の国から、先進国と認識されることが、それほど、重要だろうか。それよりも、ここで暮らす、名もない小さな世界で生きる、どこにでもいる、なんの取り柄もない、どうしようもない僕みたいな人間が、安心して生活できることを優先させてほしい。もし、自由を愛し、そこはかとない正義を、重んじるのであれば。それが、這いつくばりながらの、叫びだ。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 にほんブログ村 セクマイ・嗜好ブログ 同性愛・ゲイ(ノンアダルト)へ
にほんブログ村 にほんブログ村 就職バイトブログ アルバイトへ
にほんブログ村

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です