僕が、何を考えているのかが、つつぬけになるとき、それは、世界と、自分が、混ざりあう瞬間だ。欲望も、傲慢も、知性も、すべてが、溶けて、にじみ出てくる様は、滑稽で、それでいて、美しい。それでも、本当の、奥底にある、自我(みたいなもの)は、他人に、さらけ出さず、隠して生きている気がする。孤独を包む牢獄を、開く術をもたない者ほど、人生は、深みを、帯びていく。
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・内側と外側
ここに、文章を、つづる。それは、いっけんして、僕の内部について、語っているのかもしれない。心の動きや、感情の波を、観察しながら、湧き出てくる言葉たちに、寄り添う。でも、よくよく考えてみると、その作業は、外側の世界を、必ず、反映しているのだ。いま、目に映る景色、複雑な社会、薄っぺらい世相、その全てが、フィルターを通して、再び、構成されていく。つなぎあわされた二つの領域は、加速度的に、変化していく。そうやって、ひっそりと営み続けてきた、生き物は、はかない夢を見る。やがて、滅びゆく定めを、受け入れることは、そう、難しくはない。
・望みを叶えること
将来、こうしたいという、願望を、抱く。それを、追いかけながら、努力していくことの、全てが悪いとは、思わない。だけど、あるとき、冷静になって、立ち止まる。まだ、歩み始めたばかりの自分が、思い描いていた未来に、振り回されるのが、阿呆らしくなる。望みを叶えることに、執着しなくていい。むしろ、あのとき、死ぬほど、手に入れたいと思っていたものが、実は、たいして、欲しくないものに、変容していく。人生なんて、そんなものだ。
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結局、僕が、これまで一貫して、思考してきたのは、「命の価値」についてなんだと思う。もう、気付いてるかもしれないけど、社会は、不躾に、あなたの価値を、決めようとしてくる。例えば、ホームレスのおっちゃんが、ひとり路上で死んでいく。それは、ただ、それだけの最後を、迎えることしかできない人間だからなんだと、決めつけるみたいに。裕福な生活をするのは、それに値する者だけで、いい。
べつに、底辺で暮らしていたからって、孤独死をしようと、その人の価値を、他人が決めることは、できない。何が、その人にとって、幸せだったのかは、分からない。じつは、こうして、普通であることに、憧れ、規範から逸脱することを恐れながら、のうのうと生きる、僕なんかより、はるかに豊かな人生だったかもしれない。
・最後に
僕は、そんな、くそみたいな世界に、ざまーみろって、言いたい。権力の側にいる人が、羨ましくなるくらいに、他の人には、分からない、自分だけの幸福を、みつめながら、しれっと、生きぬいてやりましょう。それが、唯一の、野蛮な考えに対する、抵抗なのだ。