いつまでも、纏わりつき、けっして離れようとしない自己は、なんて、あやふやなものなんだろう。自我というものは、実体のないひとつの現象であると、昔、とある詩人が、語っていた。きっと、彼は、はやばやと、明確に、意識していたのだろう。今や、それは、現代哲学のテーゼと、呼ばれている。
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・夢と現
そっと、夢は、語りかける。日常の風景を、デザインし直して、頭のなかにある映写機で、再生しているみたい。夢が、現実の圧縮された模型であったり、予兆であることを示そうとする理論は、いつからか、闇の中に、消えてしまった。いったい、夢の中で起きていることと、現実で繰り広げられる、慌ただしい生活との境界線に、なんの意味が、あるのだろう。
・生きづらさ
人間は、清く、正しく、生きなければならないという強迫観念に、支配されている。信仰者として、あるいは、生活者として、僕を貫こうとする意志は、脆くも崩れさってしまう。どうして、こうも生きづらさが、胸の中で、消えずに、留まり続けるのか。知らない人に、後ろ指を指されることを、無意識に、恐怖に感じるのは、まだ、覚醒が足りないからだ。
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青い空に沸き立つ入道雲が、季節の変化を、知らせている。「雲」は、最も、身近にある自然だ。そして、実体のない浮遊物は、こちらの思念とは、無関係に、淀みななく、宙を、流れている。雲をながめ、雲の声を聞き、雲をつかみたい。綿菓子のような見かけなんだから、きっと、ふわふわしているに違いないと、考えていた子どもには、戻れない。きっと、人は、昔から、吸い込まれそうな、白くて、淡い色彩の美しさに、魅了されたのだろう。あの雲の中で起こっていることを、想像しながら、夏を待つ。