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日常・コラム・エッセイ

世界を変えていく

 自粛要請が続いている。いかにして、お金をかけず、気が晴れる日々を、送るか。そして、近所を、散歩することになる。今まで、通ったことのない路地を、歩いてみる。知らなかったお店を、発見する。太陽の、光を、浴びる。どうってことない、日常。だけど、それが、僕たちの、全てであり、守らなければならないことのような気がする。

 どうせ、だれに投票しても、変わらないはずだ。そう思って、選挙に行かなかった人は、多い。政治にたいして、関心を抱かなくても、べつに支障がなかった。だけど、コロナウイルスの感染拡大といった、有事の際に、今までのツケが、回ってきた。べつに、日本が、先進国か、どうかなんて、どうでもいい。一部の人の、利権を守るために、庶民の生活を顧みない。パフォーマンスのような政策で、国民が納得するという、浅はかさ。見え隠れする本心は、ごまかせない。

 そりゃ、政治家も、人間だもの。見栄だって、欲だってあるだろう。彼らにだけ、例外的な清らかさを、求めるのは、酷かもしれない。だけど、やっぱり僕らは、国や政府といった、大きな体制側に、振り回されたり、権力に、従ったりしている。その中枢にいる人が、信用できないのは、悲しい。いま、市民の生活は、大きく揺らいでいる。困っている人が、たくさんいる。救済するつもりがないなら、そういって欲しい。その方が、分かりやすい。

 日常について綴ることは、ジャーナリズムに通ずると、僕は、思っている。怒りに似た感情が、そこには、ある。それを、言葉にしたり、声にすることで、次に、つながる。政治について、語るのは、べつに、特別じゃないし、変なことでもない。あたりまえに、あなたの、暮らしやすい社会を望めばいい。僕は、ただ、一人ひとりの問題意識が、世界を変えていく風景がみたい。

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重たい石が、心をふさぐ

 あのとき、僕はどうして、嘘をついてしまったんだろう。嫌われるのが怖かったからかもしれない。もう好きじゃなくなったと失望されるのを恐れたんだろうか。いずれにしろ、その明白ともいえる空虚な嘘は、やがて、大きな溝になることくらい、分かっていたつもりなのに。コミュニケーションは、いつも一方的だ。一度相手に投げかけた言葉は、もう二度と返ってくることはない。

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・愚かさ
 つい最近、約1年ともにしたパートナーと別れました。非常に私事なんですが。学生のときに、ゲイ男性のブログを読みあさっていた時期に、こんな内容の記事を何度か目にしていたけど、まさか自分が書くことになるとは、つゆ知らず。でも、たぶん、どこもかしこもありふれたお話です。親しみを感じて、お付き合いすることになり、やがて時が経ち、別の人生を歩むことを決める。大人になっても、やってることは、高校生と変わらないのが、僕の最も愚かなところだ。

・薄まっていく、関係性
 相手の東京への転勤が大きな要因だったんだけど、それがなかったら、僕らは付き合い続けていたんだろうか。たぶん、いずれにしろ、終わりが近い関係だったんだと思う。付き合った当初は、毎週のように会い、いろんな話をして距離が縮まっていくのを楽しんでいた。やがて、会う頻度が少なくなっていって、お互いの存在を特別に感じる瞬間が減っていった。

・ずれる
 思えば、最初から、僕らの関係は少しずつ、ずれていったのかもしれない。お互い、一人の時間も大切にしようとは話し合っていた。しかし、それなら2人で居る意味は何なんだろう。そんな感情を、ひた隠しにして、ごまかしながらも、彼を好きだという気持ちを上から押さえつけて、うやむやにしていたのだ。きっと。

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 もうこの年になって、恋愛のあれやこれやに、一喜一憂している場合ではない。別れにも、多少なりとも慣れているはずだ。それでも、すこし沈んだような、川の流れによって丸く削られた石が、心を塞いでしまうような重い気持ちになるのは、一向に変わらない。人間は、本当の底知れぬ絶望を、捨てきれない。馬鹿げたことだと分かっていても、やめることができない。雨の中の、すこしの晴れ間が、僕の理性を呼び覚ます。きっと、大丈夫と、語るように見えた。いつもと変わらない空なのに。

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それぞれの流儀にしたがって

 うまくいくことばかりではない。当然のことながら。ひとりで、自分のなかの僕と格闘しているさまは、ひどく滑稽だ。へこんでは、下を見て歩く日常には、もう慣れている。そんなときは、お気に入りの道を辿って、家路に着こう。帰り道だけが、優しい香りがする。誰かに慰めて欲しいと思う時がある。でも、それは、都合のいい相手を求めているだけかもしれない。幼い頃に、母に抱きしめてもらった肌のぬくもりは、さざなみの彼方に消えていき、遠い記憶となってしまった。そうだ、ぼくは、あの瞬間から一人で、この世知辛い社会に挑もうと決心をした。ここによみがえる鮮やかな思い出は、決して誰にも奪われてはいけない。ただ、それだけが分かる。

 地元の銭湯で、一人で湯船に浸かっている時間が、明日への希望を蘇らすように僕を癒す。顔なじみのおっちゃんたちは、しゅくしゅくと、頭を洗ったり、ひげを剃ったり、サウナで汗を流したりしている。彼らは、それぞれの流儀にしたがって、儀式ともいえるルーティンをこなしていく。普段は、壁に囲まれた空間で行われるイニシエーションが、公共の場で、したたかに繰り広げられる。それは、なにか哲学的なものを、纏っているように感じる。

 散りゆく桜が、ブラックホールに吸い込まれるように、地面に落ちていく。僕は、昔から春が嫌いなのだ。無理やりに、あるいは強引に、季節は、なにか新しい時を刻んでいく。ただそこに、身を委ねればいいのに、不器用な僕は、足踏みをしてしまう。軽い胸焼けをしまいこみ、ちっとも楽しくはない、不確定な未来を待つしかないのが、現状なのだ。少し、けだるい感じがちょうどいい。まだ世界は、変わり始めたばかりだ。

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いちごの色

 赤いいちごが、ショウウィンドウに、たくさん並べられている。街の行き交う人々は、その果実には、目もくれず、目的地へと、足早に歩行をつづけている。その中で、ガラスケースのなかの宝石のように輝く生鮮物を、穴があくくらい、熱心に見つめる僕は、都会の片隅で、ただただ浮いているように思えた。

 なぜ、彼らは、こうして、色鮮やかに、発光しなければならないのかを考え込むことをやめ、あてもなく、洗練されたビル街を、彷徨うよう途中で、目的の買い物を、すっかり忘れていたことに気づく。でも、それを買い忘れたところで、たぶん、なにも支障はない。きっと、それは、今日起こる出来事のなかで、たいして、重要なことでなないのだろう。真っ赤ないちごを、眺めることと、おなじくらいに。

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ありのままで

 去年、スペインに、一人で、旅行したときのことを、たまに、思い出す。食べることについて、あれこれ考えるのが、面倒だったので、目についたバルに入り、コーラと、スモークサーモンの乗ったピザを、注文した。見回した限りでは、一人でコーラを飲みながら、黙々と、ピザを食べているのは、僕くらいだった。人々は、大きな声で、賑やかに、語り合っていたが、聞こえてくる言葉は、すべて、スペイン語だった。そのときになって、ようやく、自分が、日本を遠く離れ、外国にいるのだという事実に、思い当たった。そういう状況を、とくに、気にもしなかった。しかし、その時、僕は、ただ一人であるというだけではない。二重の意味で、一人なのだ。僕は、異邦人であり、まわりの人々は、理解のできない言葉で語り合っている。

 それは、日本で、いつも感じているのとは、また、違った種類の、孤立感だった。二重の意味で、一人であることは、あるいは、孤立の二重否定に、つながるのかもしれない。異邦人である僕が、孤立していることは、完全に理にかなっている。そこには、何の不思議もない。自分は、まさに、正しい場所にいることになる。

 どんな言語で、説明するのも、むずかしすぎるというものごとが、私達の人生には、ある。他人に、説明するだけではない。自分に説明するのだって、それは、やはりむずかしすぎる。無理に、説明しようとすると、どこかで、嘘が生まれる。いずれにせよ、ときが経てば、いろんなことが、今より明らかになるはずだ。それを、待てばいい。自分は、自分のままで、生きていけばいいのだ。

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悲しみの、先

 仕事をしていく上で、どんな時に、やりがいを、感じるのか、考えたことがありました。新しいことに向き合う時は、知らないことを分かろうとして、今まで知らなかった自分に、なっていると、感じます。継続して、反復して、実行する。僕が、手にしたいものは、成長なのかもしれない。

 生きているうちに、何度か、大人になる瞬間が、あると思います。タバコを吸う。セックスを、経験する。親しい人の、死に、遭遇する。もちろん、悲しいこともある。だけど、今まで、知らなかったことをしていく、新しいページを、開くような感覚みたいだ。その瞬間が、多いほど、充実しているような気がします。どんなふうになることが、大人になることなのか、よく分からない。それでも、生きることから、絶望を、払拭していきたいです。

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レンズを、構える

 文章で、自分の考えを、伝えている人に、憧れています。大学を卒業して、フリーターとして、働いている人は、多くいると思います。このブログでは、そういった人が、どういうように考えて、日々、生活をしているのかを、伝えることができればと思っています。

 伝えることを、大切にしたいです。なにかを、伝えようと、意気込むことは、ありふれた、風景を、レンズ越しに、みるような感覚です。そう、構えることによって、被写体の、輪郭が、自然に、浮かびあがってきます。何を、伝えようか、よく考えたすえに、行き着く場所なんて、たかが、知れている。だけど、相手のことを、少し、理解できる瞬間が、好きです。(それは、僕のひとりよがりかも、しれないけど。)このブログを、どんな人が、見ているのか、想像もできないですが、続けていきたいと思います。

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人は、思うとおりに生きるべきだ

 一人での海外旅行は、旅行を楽しむのは、もちろんだけれど、今まで、していないことへの、挑戦の部分が、大きかったです。行く前日は、不安が大きくなり、なぜ旅行の代金を払って、こんな思いを、しなくちゃいけないのかと、思うこともありました。それでも、以前からしてみたいと思っていた、海外への渡航を、現実にしたかったのです。

 人生が、思うとおりにならないものだとしても、人は、思うとおりに生きるべきだと思っています。スペインから帰国して、1ヶ月ほど経ちました。海外で感じた感情が薄れていき、過去のものになろうとしているのを、感じるのは、寂しいです。でも、これからも、未知の体験をするチャンスは、あります。成長できる機会を、大切にしたいと思います。

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異郷の地、スペイン

 スペインに、旅行にいってきました。行ったこともない異郷の地で、一人で無事に帰ってくることができるのか、不安がありましたが、無事に帰国することができました。行く前は、これから、どんなことがあるのかという希望と、英語も話せないやや無謀な挑戦への、不安が入り交じっている状態でした。現地に着き、雑誌の地図を頼りに、バルセロナの市内を観光しました。とても刺激的で、思い出すと、まだ少しどきどきします。思い切って、海外に一人で行く決断をして良かったです。

 旅の目的は、アントニ・ガウディが建築したとされる、世界遺産のサグラダ・ファミリアを、観光することでした。ガウディが、生涯を捧げて建築した教会を、一度、見てみたいと思っていました。海外旅行の体験をして、自分が何か変わったかは、まだ、分かりません。スペインでの出来事を、理解しようとして、考えている最中だと思います。海外での体験を、これからに活かすことができると良いです。