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思考

生きる理由

 有限の命。死を予感した瞬間。今を生きる理由を探すけど、みつからない。僕にも、ちゃんと最後が来るとおもうと、安心する。狂気に満ちた空気に、おかされていく。道ゆく人は、みんな、なにも疑わずに、ただ、明日を見つめていた。社会の付属物かであるように、従順に、事をこなしてゆく。普通のように、振る舞えない自分は、たぶん、痛々しい。

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・線引きという暴力
 今の立ち位置は、どうやって確立されたのか。僕は、とくに努力した覚えはない。だけど、食うことに困らず、住む家もある。だけど、世界は、そんな人ばかりじゃない。十分に栄養をとれない子ども。路上で暮らすホームレス。空爆に怯える民衆。激動していく社会に取り残されたように、ただ、我慢を強いられる。
 例えば彼らを弱者と、呼ぶ。そうやって、線引きをしたとき、ちっぽけな僕は、突如として、強者になる。こっち側と、あっち側。その境界は、いつからでき、何を基準に、人間を分断しているのか。貧困に陥るのは、努力が足りないからだという言説は、嫌いだ。自分の能力が高いから、それだけの見返りは当然である。だけど、あなたは、ただ、環境に恵まれていただけなのかもしれない。

・虐げられし者の声
 老後のために、蓄える。いざ、困ったときに、準備をする。そうしないやつは、そこらへんで、野垂れ死ねばいい。そんな世の中は、はたして成熟した社会と言えるのか。何者もなれなかった、何のとりえもない、どこにでもいる人間が、誰にも迫られることなく、死ぬまで、豊かに生きることができる。そんな世界が、好きだ。
 みんな、どこかしらは、不完全なはずである。それが、生きていくのに、致命的だったり、案外そうでない人もいる。いかに、抑圧される側の声を、表出させるか。その声が、うねりをあげたとき、社会という怪物に、抵抗できる。

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 結局、僕がここで、言いたいことは、社会は、いくつもの階級に分かれていて、そこで暮らす人間は、けっして全員が、幸せじゃないということだと思う。じゃあ、どうしたら、良くなるのかを、問い続ける。それが、生きる理由になる。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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