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日常・コラム・エッセイ

人というものは

 SNSで、お月見にちなんだ商品を紹介する動画が、たえず流れてくる。みなが美味いと絶賛する。僕も子供のころ、秋になると月見バーガーを食べるのを楽しみにしていた一人だ。久しぶりにとマクドナルドに足を運ぶ。実際に食べてみると、全然美味しくない。それは、僕の味覚が変わったからなのかは、分からない。でも確実に、美味しくなかった。

 世の中で、もてはやされているメニューはこんなものかと思う。そりゃ、あの価格で勝負しているのだから、高級店のような味を期待されては困るという意見もある。流行りにのっかると、とんでもない目にあうというのが分かった。たとえ、話題になっていたとしても、美味しくないものは、美味しくない。その自分の感覚を、信じてもいい年頃になったのかもしれない。

 テレビは、いろんなニュースを報道する。ジャニーズ性加害問題、福島第一原発の処理水の海洋放出、物価高に対する政府の経済対策。きっと、どれも大切なことなんだろうけど、僕があれやこれやと考えるには、問いが大き過ぎる。誰が真実を語り、誰が嘘を言っているのか。はじめから疑ってかかるのも、めんどくさい。本当は、これから先のことなんて分かりませんというくらいの方が、信用できる。かみ合わない議論が続く状況は、なんだか滑稽に見える。

 それより僕にとって意味があるのは、近所の商店街で美味しいご飯が、びっくりするような、庶民に優しい値段で売られていたり、いつも行く洋食屋さんのマスターとの会話だったりする。この世界では、とんでもないことが起きているんだと思う。それを見逃さないでおきたい。だから、とりあえず、マスメディアが垂れ流す無意味なことは、シャットダウンする。雑音がなければ、深くえぐりとられた、生の新鮮で身近な情報に反応できる感性が冴えるからだ。

 この世界は、なにか常に揺れ動いている。僕らは、それにつられるように、右へ行ったり左へ行ったりする。だけど、思う。結局、自分が死ぬとき、誇れるものがあるとするのなら、それは何を変えずに、生きぬいたかではないか。その変えなかったことは、きっと人それぞれ違う。その人の核というか、芯の部分に触れたときの感動は、計り知れない。だから、とりあえず心を、社会に開いておこうかと思う。それが、人というものなんじゃないだろうか。

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社会の出来事

問いかけは、こだまになる

 今日は、ちょっと真面目な話。いわゆるトランス・ジェンダー(以下、トランス)や性自認のことについて。この類の議論になると、とたんに(あえて意地悪な言い方をするけど)頭の悪さが炸裂している意見を、いくつも目にして、なんだか虚しい気持ちになる。そこに知識人(何を専門にしているのかは知らないけど)や、著名人までも、一緒になって、女性の安心を守るために、トランスを排除しようとか言って、浮かれ騒いでいる。そのことについて、僕の考えを述べる。

  ★   ★   ★

・イメージの不足

 そもそも性自認ってなんなのっていうところから。大半の人は、生まれ持った身体の性別に、違和感を持つことはない。僕もそう。男性器があることに、なんの苦痛もない。それは身体構造における性と、自認している性が、一致しているから。けれど、いま、知られてきているように、その二つの性がそぐわない人たちがいる。

 そこで、手術に踏み切る人もいる。それは、身体の性別を変えるというより、もとの性別に戻るという感覚に近いと聞いたことがある(僕も、その辺は想像でしか書けないけど)。そこまで嫌悪感が強くなければ、そのままの人もいる。だから、みんながみんな、処置を行うわけじゃない。

 恋愛の対象にする性別はまた、違った問題。生まれきた身体は男性で、自認する性は女性であっても、性的指向は女性のケースもある。自分は女性って言うのなら、好きになるのは男性なんだろっていう決めつけは、正直、ナンセンスだ。そもそも性的感情を抱かない、アセクシャルの人もいる。

 そして、なにも自認する性別は、男と女だけとは限らない。どちらの性別にも属さないXジェンダーと呼ばれたりする。ここで頭の硬い人たちは、混乱する。性別って、男と女だけなんだから、そんな性別なんて、認めないというのである。だから、身体が男で生まれてきた人は、男性として扱うし、身体が女で生まれてきた人は女性として扱う。性自認なんていう概念を認めてしまえば、社会がめちゃくちゃになる。

 僕は、それでは、これからどんな世界を望んでいくのかというイメージが不足していると思う。抑圧されながら自分を押し殺して生きている人が一定数いるのを放置したまま、誰もが幸せに生きれる世界にと理想を掲げるのは馬鹿らしい。ただ良くないところを変えていく。それだけだと思う。

・知性を取り戻せ

 もしトランスの権利を認めてしまえば、男性器のついた、女性を自認している人間が女風呂にはいってきてしまう。そうなると、女性は危険にさらされ、著しい権利の侵害だという。それはそうだ。でも一歩立ち止まってほしい。その部分は、トランスの当事者たちが、もっともセンシティブに考えている部分ではないか。その当事者たちの声を聞かず、排除する正当性を持たせようと、極端なケースだけをかいつまんで、必死になって批判しようとするのは、果たして、知性的なのか。

 例えば、トランスだと嘘をついて女風呂に侵入してくることを考えるなら、それは、彼ら彼女らのトランスの当事者の問題ではない。悪意を持って犯罪を犯そうとする、性別違和を持たない、いわば、私たち側の問題である。それをすり替えて議論が進んでいくのは、間違っている。

 そもそもトランス当事者の方が、公共施設において自分の思い通りの性別の利用を求めているのか。女性の権利を守ることと、トランスの権利を尊重することは、本当に対立構造にあるのか。まるで、トランスが行き過ぎた権利を主張しているような情報は、フェイクではないか。繊細な問題であるからこそ、慎重に丁寧に考えていく必要がある。僕はそう思っている。

★   ★   ★

 いまでこそ、性同一性障害やトランスという言葉が、知られるようになった。でも、それよりも前に、性的マイノリティーと呼ばれる人たちは存在していた。その人たちの生きづらさを思い浮かべてみる。というか、どうやって生き延びてきたんだろう。自分の苦しみを誰にも理解されず差別され、毎日、泣いてばかりいたんじゃないだろうか。あるいは、日常を淡々と、しなやかに強く過ごしてきたんだろうか。

 性は、全ての人の問題である。人間の本来の生き方を模索する僕らにとって、見過ごせない問いかけは、こだまになって、舞い戻ってくるみたいだ。愛の形が、様々であるなら、生き方だってそれぞれでいい。まあ、とりあえず、生きよか。

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思考

飢えを知らない僕たちは

 頼りない僕は、何にすがりつけばいいんだろう。いつまでも不安なのは、圧倒的に経験が不足していることを指す。確固たる自分なんてものは、待っていても、向こうから歩いてくるものじゃないことは、分かる。少しでも肯定してくれる言論を求めて、他から怪しげな理論を借りてくる弱さ。そうだ。歪んだ歴史認識を真に受けてしまうお前は悪くない。ただ、ただ社会が、混沌としていく。

★   ★   ★

・理解という思い込み

 あなたのなかに描かれる僕は、いったいどんな人間なのか。きっと実際とは、かけ離れたものであることは、容易に想像がつく。だけど、相手を知るというのは、今、自分がどのようにその人のことを、感じているのかという、想像の域をでない。じゃあ「理解」って、そもそもいったいなんなのか。不快かどうかという感情のものさしだけが大きくなり、それが印象の全てになる。でっち上げられた人物像が、さも正しくあるかのように、もっともらしく批判する輩の愚かさ。まずお前は、自分にとって不都合な存在に、なぜそういった苛立ちを持つのかを、探るべきだ。

・見落としていた愛を思い出す

 ひとりで生きている。そう思ってた。つらくて、悔しくて涙が出るときも、横には誰もいなかった。大人になるのは、こんなにも苦しいのかと、誰かに吐き捨てたい気持ちだった。けれど、今まで僕に注がれていた優しい眼差しは、すでにそこにあったのだろう。ただ気付かないだけで。幼い頃、感じた幸福。親に施された慈しみが、たしかにここにある。それを、反芻するかのように、あるいは過去を取り戻すかのように、幸せへの経路をたどる。今になって、愛が確固たるもになって、心に根付いているのが分かる。次に何をなすべきかという答えは、すでに僕のなかにある。

★★★

 飢えを知らない僕たちは、いったい何を渇望すればいいんだろう。よく言われる。日本という国に生まれ落ちたこと自体が、幸せだと。そんなこと、言われなくても若い人は分かっている。こんなにも物が溢れかえり、至れり尽くせりの娯楽が用意されている。それでも、満たされない何かの正体は不明だ。環境、不平等、戦争、飢饉、そんなワードで片付けられない現実が、すぐそばにある。結局、僕は何ができるんだろう。思考することさえ、おぼつかない。とりあえず、文章を書く。不器用な言葉が、誰かに届くことを願って。

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自分のこと

あんな大切な夢を、どうして忘れていたんだろう

 自室の中の置物たちは、静かに僕を見守っている。寝るときも、少し気分が落ち込んでいるときも、何も語らずじっと。何かに愛を注ぎたいから、そっと彼らを慈しむ。いつか、いざとなれば動き出し、正義のために戦ってくれるんじゃないか。いや、たかが人形だからと言われても、今の僕には、そんな言葉は、なんの意味も持たない。だって、世界をどう解釈するかは、自分で決めるから。

★   ★   ★

・罠を暴け

 生きづらいと感じている人に、共感する僕がいる。大勢になじめず、居場所のない苦しみに耐えるとき、人は一人になる。そんな弱い部分を隠そうとしても、嘘はすぐに剥がれ、虚しい涙が頬をつたう。結局、私たちが立ち向かわなければいけないのは、こちらに暴力を有無を言わさず、ふるってくる奴らであって、自分ではない。敵は外側にいると、確信したとき、あなたはほんの少し強くなれるはずだ。でも、力に力で対抗するアホらしさに気付いている崇高さ(優しさといっていいのだろうか)が、行く手を阻む。全てのバイオレンスを否定する理論は、あちら側の有利になる罠みたいに、よくできた仕掛けだ。だって、不条理な秩序に対して、声をあげるときも、ある種の乱暴さが伴うから。

・淀みのなかの言葉

 夏の暑さが、それぞれの孤独を溶かしていくみたいだ。そういえば父が死んだ日も、こんなふうに日差しがきつかった。季節が巡っていくなかで、心だけが立ち止まっている。もし、いま、父に伝えるべきことがあるなら、それは何なんだろう。きっと今の僕は、何ら変わらずあのときのままだよと、言おうとしたとき、少しの、淀みが、顔をだす。もう僕は、イノセンスな存在ではない。でも、思う。あなたが、家族を必死になって愛し、守り続けた日々のなかにいた、まだ何も知らない幼な子だった自分。時が経って、背丈が伸びようと、そのままの不器用な自分が、ここにいると。

★   ★    ★

 父は、眠りのなかで、「ごめんね。」と、僕に告げた。あんな大切な夢を、ふと思い出す。その一言は、全ての創造につながっている。世界を深く感じようとする繊細なアイデンティティが、この社会を覆い尽くせばいい。僕らを支配しようとする奴らは、きっとそれを一番、恐れているに違いない。コントロールしやすい人間ばかりに教育しようとする仕組みを、燃やし尽くせ。後になって残るのは、自由と知性に溢れた世界だから。まだ希望が残っているうちに、掠れた喉を痛めつけるみたいに、思考を言葉にしてみる。そんな夜。

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映画レビュー

048 「君たちはどう生きるか」(2023)

<基本情報>

宮崎駿が、監督、原作、脚本を務める。 タイトルは、吉野源三郎の著書を借りたもの。 公開初日まで、作品に関わる情報を出さず、異例の宣伝スタイルをとる。 にもかかわらず、興行収入は好調の出足。

★ ★ ★

 映画レビューから遠のいていたけど、この作品を観て、久しぶりに書きたくなった。もちろん、これから映画館に足を運ぶ人もいるだろうから、ネタバレはしない。だから、ぼんやりとしたことしか言えないけど。観終わったあとに、面白いと僕は思った。もちろん、好みはあるので、様々な意見があると思う。それが、真剣にクリエイトされたものなら、なおさら。

 この作品を語るには、なぜ僕らは、絵を描いたり、音楽を奏でたり、小説を書くのかという問いを背負わなければならない。いうなれば、フィクションの形を借りて、何を表現しようとしているのか。この社会のここが、変だよねとか、死んでしまったら、たぶんこういう世界に行くんだろうとか、漠然としたイメージが無意識のなかにある。その姿を、具体化するのが、ある種の意味だと僕は思っている。

 それを意識的にできる作り手のひとりが、宮崎駿という人間だ。もちろん、エンターテインメントとして、成立しているのが理想である。今回の作品は、やや僕の思う意味を重視して、彼の描きたい世界が、ふんだんに盛り込まれ、観客を置き去りにしてしまうかんじは、たしかにある。でも、それでいい。そういうのが見たかったという人は、少なからずいるから。きっと、この先も、愛される作品になるにちがいない。

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日常・コラム・エッセイ

過去が過去になるのには、少なからず多少の時間が必要なようだ

 新しい仕事に就いて、約1ヶ月が経った。少しずつリズムを掴み始め、僕はこなさなければならないことを、順になしていく。そんなに難しい内容でもないから、あと少しすれば、全体を理解しながら、個々の作業に没頭できるはずだ。

 人生は、不思議だなと思う。前の職場にいた自分こそが、自分だと思っていた。でも、今は環境が変化して、新しいことをしながら、生活している。ここで僕が思ったのは、仕事が何であるのかと、自分が何者であるのかは、関係しているのかということなのかもしれない。

 そんなことを考えても、結局、日々、労働者として、お金を稼がなければいけないのだけど。でも、お金を払えば、人を雇えることとか、利益を追求していかなければ生き残れない資本主義とか、当たり前になっている仕組みに対して、あれやこれやと文句を言いたくなる。どうやら僕は、ややこしいタイプの人間らしい。

 とりあえず、無力な僕がここにいる。落ち着きのない社会から、振り払われそうである。きっと、排除されたところで、必至になってしがみつこうとすることの馬鹿馬鹿しさに、気付くだけだ。だって、世界は、向こう側にあるんじゃなくて、常に周りに飛び火していく縁のなかに存在しているから。僕が投げた優しさは、いつか僕に舞い戻ってくる。

 何も知らず、ただお前はなんの役にも立たないから、ここにいるべきではないという声に抗っていた。でも、そんな時期は、無音に、そして無意味に、過ぎ去っていく。どうやら過去が過去になるのには、一定の時が必要なようだ。そのタイムラグは、大人になるにつれ、大きくなっているように感じる。以前の無垢な僕にたいして、どんなメッセージを伝えなければいけないのか。それが、全くもって、答えの問いかけみたいに、分からないのだ。

 ここから発信されたセンテンスは、海の藻屑になって消え去っていく。でも、それでいい。ただ、爪痕を残そうとして、あるいは、心を繋ぎとめておこうとして、精一杯に歩く僕は、まだ未完成だから。いつか、僕の思考があなたに届けばいい。そんな夜は、月が綺麗に輝いていることを、切に願う。

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日常・コラム・エッセイ

心変わり、そして喪失

 約4年間勤めた仕事を、退職しました。

 少し前までは、ここで僕はずっと働いていくんだろうと思ってた。いざ辞めるとなると、あっさりしたもんだ。言うなれば、心変わり。僕は、シフト・チェンジをし、ゆっくりと命の店じまいを始める。たぶん、誰もが思う。ずっと、このままでいいんだろうか。働くということの意味を考えざるえない。ほんとは労働のことなんか、どうでもいいのに。僕らには、それ以外に、めぐらせないといけないことが、たくさんある。

 理由は、いくつかある。いちばんのことは、お金の問題である。もれなく、僕の給料は、多くはない。そこから家賃、生活費、税金とやりくりをしていたが、それが立ち行かなくなった。長い時間を、働いてなかったので、当然である。少しでも多く稼げる職種を選択することになるのだが、それが正解なのかは分からない。資本主義というものは、僕の自由まで奪ってくる、なんとも意地悪なやつなのだ。

 そして、僕は、何かを失う。その喪失は、なんの意味をもち、これからの人生にどう影響を及ぼすかは、全く見当がつかない。社会とどう関わっていくか。自分にどれほどの価値があるのか。お金との距離感を保ちたい僕は、同じところをぐるぐるしながら、思考を重ねていく。誰が読んでるかも分からない文章を、ここに綴る。

 とりあえず、僕の生活圏を守ることで精一杯だ。だから、政治のことや、思想のことまで、語らない。そうしている間に、好き勝手されるのもしゃくだから、言っておこう。商売をしている人や、ストレスを抱えながら、なんとか毎日をどうにかこうにかやり過ごしている労働者を、軽く見ないでほしい。大きな体制側の都合のいいようになれば、それはそれで、ことは簡単に運ぶだろう。でも、僕らは、僕らで、自分の幸せを守っていく。なので、あまり干渉しないでほしい。

 どんだけ搾取されようが、奪われてはいけない尊厳が心のなかにある。きっと表現者たちは、それを形にしてきた。その波を、止めてはいけない。ただ、あなたは、あなたらしく。それに尽きるんじゃないだろうか。目に見えない何かに抑えつけられている場所から、息ができる方へと向かっていく。そこが見晴らしのいいところだと、僕は嬉しい。

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思考

言葉の風

 季節が移り変わっていく。なぜか、泣きたくなる。どうして、そんなに我慢しているのと、色づく花や緑が語りけてくるみたいだからだ。春の息吹は、みなに平等に、優しさを振りまく。いびつにまとめられた、ひとつの世界は、今日も、何事もなかったかのように、閉じようとしている。そこで暮らす悲痛な叫びを無視して。なにかを変えたいという、ありきたりな衝動のまま、動け。その思いは、きっと誰かに届くだろう。

★   ★   ★

・弱さという宇宙

 僕は、この社会にとって必要なのだろうかという不毛な問いが、頭をめぐる。役に立っていようが、無駄な人員であろうが、あるいは、意味があろうと、なかろうと、そんなことは気にしないで、存在し続けてやるという、ある種の強さが、求められている。ある作家は言った。弱さがキー・ポイントなのだと。消えてなくなってしまいたいのは、たぶん、その弱さが、あなたのなかで増幅していき、そこにはじめからあった宇宙のように居座ってしまっているからだ。抵抗しないで、その身を任せてしまえ。いずれ、黒の世界は、雲が霞みがかり、雨が降り、大地に命を吹き込むだろう。何億年も前に、地球ができたみたいに、あるいは、季節が循環していくリズムみたいに。

・虹色の線

 蛹(さなぎ)のときが、いちばん美しい。僕は、そう思っている。やがて、羽化し、成虫になるときを待つ、その状態は、エネルギーが、身体のなかに、充満している。はちきれそうな力は、誰かを傷つけるためではなく、あるいは、誰かを脅かそうとするためではなく、自然の一部として、己のほうへ消えていく。そして、美しい蝶になったあなたは、まだこの世界になかった儚い虹色の線を描くだろう。かつて、戦争があり、暴力がこの世を支配していた。散っていった命にたいして、僕らができるのは、ただ、死の気配が、まだなお充満する今に、たくさんの色鮮やかなラインを引き、平和へと誘うことなのだ。

★   ★   ★

 時代は、変わったのだろうか。人々の考え方は、変わったのだろうか。多くの場合で、日常のふとした場面で、それぞれの考えをうやむやにして、表面上は、波風を立たせないように繕っているのが、現状じゃないだろうか。そして、もちろん、そのせいで我慢して、自由に生きれない人が、たくさんいる。そう思っているのは、決して一人じゃないし、声をあげて、変えようとしている人もいる。ここで、伝えなければいけないのは、この窮屈な社会で、びくともしない壁に囲まれて身動きのできないあなたの重荷が、軽くなる言葉だと思っている。なぜか、泣きたくなる春の日、風にのって、その思いが届きますように。

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思考

それはそれとて、お前は自信をもて

 なにに対して、お金を払っているのかが、分からなくなる。きっと、ここでお金を使えば、こんな幸せが手に入る。そう思わせようとして、たくさんの広告で溢れる世界は薄汚いとさえ思う。その大半が錯覚なんじゃないだろうか。いわば、そこにお金を費やしても、全然楽しくないのである。誰も、お金について、おおっぴらに語ろうとしない。とても大事なはずなのに。だから、今回はお金について、話そう。

   ★   ★   ★

・和菓子屋さんで、おはぎを買う

 僕は、よく近所の商店街にある和菓子屋さんに立ち寄る。そこで売っているおはぎは、絶品なのだ。(季節限定のいちご大福も、美味しい。)店頭にたつお母さんとの、二言三言の会話も楽しみにしている。一人暮らしをしている僕にとって、そのつながりは、社会との接点であり、お金の損得を抜きにした、捨てがたいものなのだ。資本主義の隙間にうまれた、小さなひずみは、この社会に核になりうる。美味しいお菓子と、孤独さえも吸い取ってしまう時間に対して、対価を払う。それは、お得そのものなのだ。

・経済とは生活のことである

 夜遅くに仕事が終わり、夕食をとれそうなお店の大半は閉まっていて、24時間営業のマクドナルドに足を運ぶ。レジに立っていたのは、和菓子屋さんのお母さんだった。僕は、なんとなく気まずくなる。そして、悲しくなった。たぶん、それは、手の込んだ和菓子を売るだけでは、生活できなくなってしまった社会への憤りだと思う。どこに行っても目に入るスターバックス、なんでも揃う大型ショッピングモール、保存料だらけの安価な商品を売るコンビニ。別に、それらが悪だと言っているわけではない。だけど、僕は、街の片隅でひっそり営む、体に害のないものを手間暇かけて作っているお店にお金を使いたいと思った。そのお金が、また、生活のなかに循環していく。その流れの正体が、経済なのだ。

   ★   ★   ★

 自分で、稼いだお金を好きなように使う。その価値もわかる。当たり前にするその行為は、この社会をつくりだす全てになってしまったように感じる。例えば、病気や障がいで、働けない人もいる。いわば、お金とは、特定の人を排除してしまう側面を持ち合わせているのだ。(お金に困ってない人は、そんなこと考えないだろうけど)いわば、お金の使い方は、自分とは何者であるのかということと密接に関連している。

 だから、どこにお金を落とせば、みんなが幸せになれるのかを考えて欲しい。大きな資本を元手に、大企業らは、魅惑的なサービスを売ろうとしてくる。お前は、お金を持っていることにしか価値がないとでも言うように。でも、実際は違うだろ。僕が和菓子屋さんのお母さんとの会話で気付いたように、人とのつながりは、そんなんじゃない。自分の人生に価値がないと思っても、それはそれとて、お前は自信をもて。

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自分のこと

だから、生きろ

 あとどれくらい自分と向き合えば、僕は僕から解き放たれるんだろう。街を行き交う人は、えらくまっとうな振りをして、目的地に向かう。イヤホンから流れる音楽を防護服みたいにして、周りからの情報をシャットダウンし、徘徊する。そんな時に、唯一この世界を優しく感じることができる。

 他者に、正面から向き合うことは、ひどく疲弊することを、経験的に知っている。だから、お互い無関心を徹底し、知らない人に話しかけてはいけないというルールを頑なに守る。普通を装いながら、社会にとって異物のような自分を持て余す日常は、けっこう孤独なのだ。

   ★   ★   ★

・読書とは

 いっそのこと、この孤独をより一層深めてくれることを求めて、本を読む。いちいち立ち止まって思考し、全然うまくいかない生活に辟易しているのは、僕が出来損ないだからだと思ってた。でも、どうやら同じように世界に居場所を見つけることができず、声をあげて戦ってきたきた人たちがいる。紙に並べられた文字は、ある一定の時間を経て、僕にそれを教えてくれる。言葉の力を垣間見る瞬間、この今というものが、まざまざと輝きだす。読書とは、人生がどんなものであるかを明確にする装置なのだ。

・人を傷つけることと愚かさについて

 例えば、僕は同性愛者だったりする。周囲とは違う性的指向を、ここで語ることについて、意味を深く考えたわけじゃない。でも、かつてそのことを理由に虐げられてきた人たちがおり、不条理な暴力に抵抗してきた。その歴史のどん詰まりにいる僕らは、いったいどんなことを思いながら、生きていけばいいのか。自分とは異なる存在を、疎ましく感じる。それは、それでいいだろう。僕だって同じだ。問題は、その感情に向き合いもせず、ずかずかと言葉にし、人を傷つけることを想像できない。それは、無知な愚かさのなにものでもない。僕は、そう思っている。

   ★   ★   ★  

 多様性であるとか、人権であるとか、時代であるとか。なにが変わっているのかが、僕には感じ取れない。崇高な理念や信条は、どこか聞こえのいいものばかりだ。現実に、いま、悲しみの淵に沈んでいる人間にたいして、どうやって声を届けるのか。ここで勇気づけることを言ってもいいけど、お前はそんな言葉で救済されるようなたまじゃない。複雑な社会は、お前がお前でいることを、頑なに歪めようとしてくる。強くなる必要はない。ただ、途切れない自分を確立していくしか、手数は残されていない。だから、生きろ。

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