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自分のこと

空に群れをなす鳥たちは 

 みんなが、おのおの、自分の神様が、ほんとうの神様だと言う。けれども、お互い、他の神様を信じる人たちのしたことでも、涙がこぼれる。それから、僕たちは、心がいいとか、わるいとかの議論を始めるだろう。そして、勝負がつかないことを、知る。だって、答えなんて、そうそう、見つかるものじゃないから。

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・初恋
 結局、僕らは、ただの恋愛ごっこを、していたにすぎないのだと、過去を振り返って、思う。いつから、人を好きになったり、相手を、自分のものにしたいという欲求を、持ち始めたのか。たしか、初めて、同級生の男子に、恋心を抱いたのは、16歳だったと、記憶している。彼と一緒にいたいとか、もっと話をしたいと思うのは、ありきたりな、ただの友達としての感情だと、認識していた。けれど、そうではなく、何か分からないけど、もっとエモーショナルな情感だと、確信した瞬間があった。あの頃、僕は若かったというより、幼かった。その気持ちを、整理する術を持ち合わせているはずもない。

・抑圧
 言葉にできない情緒を抱いたまま、日々を過ごしていた。ときに、傷ついて、涙を流したり、どうしようもないくらいしょうもないことで、大声で笑ったり。それを、青春といえば、聞こえはいいけど、当時の僕からすれば、一日一日、生きのびるのが、精一杯だった。同性愛はタブーだという刷り込みは、しっかり、自分に、焼き付いていたし、異性愛を、強制的に押し付ける風潮に、抑圧されていた。

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 空に、きれいな直線を描いて、群れをなして飛ぶ鳥たちは、何かの号令を、かけられているみたい。それと同じように、人間も、良き母になれ、異性愛の望ましい対象となれ、適切な労働者となれって、だれかの要求に、応えるように、生きているようだ。ここ最近、僕らは、個人主義的な文化で生きているけれど、しっかりと権威への服従が、染み付いているのかもしれない。歳を重ねるごとに、強くなる生きづらさと、関係してるのかは、まだ分からない。

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渡り鳥のように

 テレビは、相変わらず、世の中の動きを、鮮明に、映し出している。それを、リビングで眺めながら、黙り込む。たれ流しになっている情報が、どれだけの人の脳に、刷り込まれて、そこから派生した感情は、どこに向かうのだろう。

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・奇妙なこと
 せっかく、過去の記事で、自分のセクシャリティーについて語ったのだから、それについて、何か書こうと思っても、特に、思いつかない。それは、ゲイというアイデンティティーが、僕の、ほんの一部分にすぎないのだということが、分かる。問題は、そうだとしても、なにかしら、書けと迫られる、あるいは、説明することを余儀なくさせる、空気感に、あるのかもしれない。
 そもそも僕は、カミングアウトという言葉が、好きになれない。たいそれた名前をしているけれども、個人的には、そんなことをしなければ、自分について、語れない社会のほうに、問題があるんじゃないかと思っている。だって、わざわざ、あらためて、性的指向について、他人に、語らなければならないって奇妙だし、それが、どれだけ、当事者に、プレッシャーをかけていることを、想像できない世の中なんて、どれだけ、せちがらいんだろうか。

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 人の心と心が、時間の経過に沿って、くっついたり、離れたりするものだというくらいのことは、もちろん、わかる。人の心の動きというのは、習慣や常識や法律では規制できない、どこまでも、流動的なものなのだ。たしかに、人生の一部分を交えた相手が、他のだれかと、付き合うことになることなんて、多々ある。ハッピーエンドの映画の結末のようにならない人生に、辟易したとしても、国境という概念を持たない渡り鳥のように、自由になれる日を、待ちわびながら、眠りにつく。

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無題

 今年で、30歳になる。その前に、片付けておかなければならない問題が、ある。かつて、僕のきれいな手が、好きだと言ってくれた彼は、隣には、もういない。

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・カテゴライズ、あるいは無意味
 中学生の頃、周りの男子は、女の子の裸に、興味が湧いてきだした頃で、楽しそうに、性について、語っていた。その話を、まるで、違う惑星の話のように、横で聞き流し、自分には、性的な興味は、一生湧いてこないんだとさえ、思っていた。僕が、ゲイ・セクシャリティという属性を有することに、気付くのは、後のことだった。
 以前、僕の心を震わせ、距離を近づけたいと思う、女性がいた。彼女と、付き合うことになったんだけど、一緒に、映画を観たり、話したりするのが楽しい時期で、それ以上、進展することはなかった。そういうのを、バイセクシャルというのかもしれない。けれど、そうやって、人をカテゴリーに分けようとする作業は、何の意味も持たないと、知ったことは、ひとつの救いだ。どこまでいっても、とんでもなく不器用な自分という存在が、ここにいるだけなのだ。

・もやもやしたもの
 こうしてブログで、自分のセクシャリティについて、語ろうと思ったのは、とあるゲイ男性のブログをみて、影響されたんだけど、それ以上に、もうちょっと、心の中にある、もやもやとした部分と、深く向き合うことが必要なのではと、感じたことが大きい。インターネットという開かれた場に、文章を綴るという手段を使って。顔を出そうと思ったのも、少なからず、リスクを負うことによって、生半可な気持ちではないと知ってもらうためだ。でも中には、そんな、他人の性的指向の話なんて、聞きたくないよと、いうかもしれない。

・もう一度言う
 だけど、もう一度言う。僕は、ゲイだ。(あるいはバイセクシャルだ。)もう思春期を迎えた頃の、うぶな子どもではない。だから、想像できる。性は、体やベッドの上の話だけではない。人生、そのものだ。それをいったところで、性的少数者について、理解してほしいなんていう、崇高な思いは、持ち合わせていない。顔を出して、性について語ること(それをカミングアウトと呼びたきゃそう呼べば良い)で、何かが変わるなら、世界は、もっと、はやくに良くなっているはずだ。
 ただ、みんなが当たり前にしているように、自分を語らずにはいられない衝動を、解き放ちたい。彼氏のことを、彼女に置き換えながら、嘘を交えて会話するのを、やめて、実直に、語りたい。異性愛が中心となって構成されている社会において、少なからず、誰にも相談できず、抑圧されている人間がいることを、知って欲しい。そして、声に出せず身動きをとれなくなっているのはなにも、ゲイや、レズビアンだけではないという事実に、思いあたらずにはいられない。

・多面的
 けど今はあえて、セクシャル・マイノリティについて言及したい。ニュースで取り上げられる難民の中に、ゲイがいる。耳が聞こえない聾唖者の中に、レズビアンがいる。不況の波に襲われ、路上で暮らしている野宿者の中に、トランス・ジェンダーがいる。それは、虚構でもなく、ただの突きつけられた現実であることは、少し頭を働かせれば、分かることだ。
 僕が、知って欲しいのは、この世界は、もちろん、幅があって、奥行きがあって、かつ、複雑な拡がりを見せている。そして、それは、案外すぐとなりに、欠片となって散りばめられている。そこで暮らす人々は、平面的なわけがなく、多面的に、形成された人格を持ち合わせている。理解し合うことが困難と分かっていても、気持ちを共有したり、慰め合ったりして、分かり合う方法を模索するのが、人間の姿なんじゃないだろうか。

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 これからさき、このブログに、どんなことを書こうか、まだ決めてないんだけど、よろしければ、お付き合いください。よろしくお願いします。