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思考

「女性の社会進出」について(二)、あるいは通勤電車の亡霊

 男性が、している出世競争に、参加することが、そんなに、意味が、あるのかなと、疑問を、持っています。戦後の経済成長を迎え、バブルが弾けて以降、もう一度、あの頃のような、羽振りの良い時代を迎えたいという、亡霊に取り付かれたように、経済の発展を、望んでいる日本人の生活が、それに似合った、豊かな生活を送っているのか。毎朝、ぎゅうぎゅうの通勤電車に揺られ、闘いのようなラッシュをくぐりぬけ、週5日、同じような日々を繰り返す、日常を送る「普通」の人々。それをメインシステムとするならば、社会化を、望まない人々を受け入れるサブシステムが、日本は不足していると言えます。

 「女性の社会進出」についても、同じように、男性の、覇権欲求を、むき出しに、繰り広げられる出世の争いに、参加していくことが、女性の生き方にとって、意味があるのかどうかは、もう一度考えてみても良いと思います。(もちろん、性別に関係なく、キャリアを、積み重ねていくことのできる、環境を整える必要があるのは前提として)別に働かなくても、あるいは、低所得でも、健康に生きていられれば、何の問題もないのだから。しかし、それは、日本で社会問題になっている「女性の貧困」へと、物語はつづいていきます。

・最後に
 就職をしないで、大学を卒業し、世間から、冷ややかに、排除させられるような感覚を、持ってしまう。このブログが、そういった人達と、社会とを、拙い語彙で結ぶ、表現の場になると、いいなと思っています。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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