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社会の出来事

つながり、あるいは家路につく途中で

 幼い頃の記憶が、徐々に風化していくのが、分かる。数十年の時を経て、僕は、大人になった。でも、なぜだろう。酒を飲みながら、楽しそうに話す父親の姿が、それを見守る優しい母親の眼差しだけは、忘れない。というか、どこまで考えても、僕のルーツは、そこにしかないと思い知る。
 仲睦まじく手を繋いで散歩する老夫婦、母親に連れられて保育園に向かう子どもたち、いぶかしげな表情で、目の前の風景をカメラで写真に収めようとする青年、朝のなにも変哲のない公園の風景は、やがて営みとなり、過去となり、歴史となる。1日1日が積み重なってできる現在が、今日も、滞りなく終わればいいと思う。そこで生まれる人と人とのつながりは、なにものにも、代え難い。

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・再考
 川崎殺傷事件を、ネットニュースで知る。報道を見ていると、孤立する人間を、いかに社会に包括していくかが、語られたりする。でも、ひとりになることを自ら選んだ人間を、気にかけるほど、世間は、甘くないという人もいるだろう。ひとりで死ぬなら、迷惑をかけず、だれも傷つけずにひっそりと死ねという気持ちも、少し分かる。誰もが生きづらさを抱える社会で、あるいは、まともに生きることが難しい時代に、僕らは、いかに、つながりを維持していくのか、自分と他者を結ぶゆえんは何なのか、生きがいをみつけるには、どうすればいいのかを、もう一度考えてみるべきだ。

・たくさんの人間たち
 こんなおかしな社会で、悲惨な事件をおこす奴がいても仕方ないという、空気感が怖い。まぎれもなく社会とは、僕ら自身のことであると思うし、そんな世の中を、是としてきたのも、僕らだ。じゃあ一体、自分たちに何ができるんだと、あなたは思うだろう。まず、僕が取り上げたい視点は、たくさんいる人間を、同じとして、考えていいのかということだ。容疑者は、他人との接点は、皆無に近かったという。でも、たぶん孤立している人間は、他にもたくさんいる。(ひきこもりと呼ばれたりする。)それが、事件の要因となったのか、あるいは、彼自身の固有の問題なのかを、見極めるべきだと思う。

・バックグラウンドを考える
 それによって、社会が行う介入の仕方が、大きく変わってくる。もし、おなじ状況におかれた人間が、同じように、犯罪を起こす可能性があると考えたとしよう。きっとそれは、多くの人を傷つけるだろうし、差別や偏見を生むだろう。個人的に僕は、人間は同じように見えて、実は異質な存在だと考えている。だって、そりゃひとりひとり育ってきた環境や、出会ってきた人が違ったら、考え方も、それぞれになるだろう。まして、生まれた年代や、国籍が違う人間を、同じグループとして捉えるのは、強引すぎではないかと思う。

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 この事件について、有識者たちが、意見を述べる。そりゃそうだろう。なにか言わなきゃ、あるいは分析して新たな知見を得なければ、どうして、何の罪もない人々が被害に遭ったのかを、呑み込めない。テレビで交わされる考えはどれも一般的で、当たり障りのないものかもしれないけど、そうやって、次に悲劇をうむ前に、どうにかしないといけない焦燥感が、みなにある。死んでいい命なんてない。社会をかえることができる。亡くなった人たちの魂に、思いを馳せる。それは、いつも仕事が終わり、家路につく途中だったりする。

作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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