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思考

井戸の中の優しさ

 僕らの苦しみは、いつになったら消えるんだろう。物理的な痛みじゃない。心のどこかを損なったような、もどかしさ。そこにできた空白は何かを求めるように、ありとあらゆる欲望を飲み込んでいく。

 社会と個人の関係を模索する日々。意味のない絆を、繋ぎとめる日常は虚しい。自分のことを大切に思ってくれる心地は、もはや最高級品になった。いくら高額なお金を払っても手に入らない。僕らは、どうあるべきなんだろう。

★★★

・サピオセクシャル

 最近、気になったワード。相手の知性に惹かれるセクシュアリティを指す。テレビの中の将棋をする男性が、腕を組みながら次の一手を模索している姿に性的な魅力を感じていた僕は、その要素を持っていると思う。大学の講義中も、ろくに話を聞かないで、教授の仕草のひとつひとつに色気を感じていた。

 自分を説明する言葉に出会う快感を共有したい。過去のいくら考えても腑に落ちなかった事が、すっと受け入れられる瞬間。本来、概念とはそうあるべきだ。社会がどこに向かっているのか、そこで生きる個人の中に何が起きているのか。疲弊する人生に光が届く。抑圧された個性を解きほぐし、楽にしていく。もちろん、そこにはいつも知性がある。

・僕らの欲望について

 どうやらこれからも世界は人々の欲望のままに、発展をしていくらしい。市場経済でいくしかないだろうし、競争も終わらない。生産性を上げろだの、新しい技術を開発せよだの、生き残るために努力せよだのと大きな体制側は言うのだろう。もちろんそんな謳い文句に乗る必要はないのだけど。

 経済が上手く回ることに、こしたことはない。そうなる方がいいだろう。でも、それが、この世界に生を受けた者の答えなのか。お金や価値は、副次的な産物でいい。主たる僕らがもっとやるべきこと、大切にすべきものがあるにちがいない。例えば、それを道徳や連帯だとする。大国の間抜けな大統領(誰とは言わないけど)に、圧倒的にない視点だ。

★★★

 僕は何も時代に逆行していることを言っているのではない。男性に従順な女性をよしとするのが、古い考え方だと言いたいのではない。自分の頭で考えて行動する女性を疎ましく思う世の中に違和感がある。

 セックスで、男性器を体内に侵入させる恐怖について、もっと語られるべきではないか。女性軽視の社会で、女性が本当の安らぎを手に入れる話しをしてもいいんじゃないか。そこにフェミニズムがあってもいい。弱い立場の人から、もっと声を拾い上げろ。心の空白を埋めるのは、いつも井戸の底に眠る優しさだったりするから。

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日常・コラム・エッセイ

象みたいに進む、あるいは子どもらしく笑う

 昨日はパートナーの誕生日をお祝いして、少し豪華なディナーを頂きました。普段は本当にしょうもないことしか話さない。些細なことで大笑いする僕らは、ただの平和の使者か。今日くらいは真面目な話をしようと、同棲して約1年を経てのそれぞれの感想を言い合った。生活のこと、仕事への向き合い方、お互いの時間、孤独への対処法。理解し合いたいとは思わない。彼は彼で、僕は僕だからだ。

 仕事での失敗を誰かに話すのが怖かった。自分がうまく社会をやれない部分を曝け出すみたいで。これまでは、どうにかこうにか1人でやってきたんだと思う。生き残るための多少の知恵はある。不完全すぎる僕を、あるいは世界に反抗的な不純を、共有する。たいそれたことではない。へこんだ気持ちを言葉にして彼に伝える。それは考えていた以上に、心を軽くした。

 男2人の暮らしは、そんな華やかなものじゃない。きらきらした幸せばかりが転がっているものでもない。まして、そこに正解や答えがあるわけじゃない。でも、不寛容で厳しい風が吹き荒れるこの国の片隅で、地に足をつけながら慎ましく寄り添いながら生きる私たちがいることを、伝えなければいけない。ゲイ・セクシュアリティを、あるいは様々な愛の形を遠ざけようとする世の中だから。

 意地悪な固定観念を乗り越えるために。どうでもいい外野の声で、怖気付いている場合ではない。もうすぐ夏が来る。季節が動くごとに生まれ変わっているみたいだ。壊れてしまったブレーキを携えたように、あるいは止まり方を忘れた象みたいに。とりあえず時間を進めよう。ここから見える景色は決して間違いじゃない。僕はもう、子どもらしく笑う。今までの遅れを取り戻して、大人であることを忘れてしまえ。

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日常・コラム・エッセイ

陽を浴びない草木だとしても

 家族の定義について考える。ペットだって、もう共に暮らす大事な一員になる。時代とともに価値観は変容していき、当たり前が崩れていく。それが嫌だという人もいる。保守とリベラルとの分断は、何を意味するのか。父と母から、僕は生まれた。両親に育てられたという確かな愛が、自分の中にあるのが分かる。そして、もちろん、大人になる。恋人だってできるだろう。家族という枠におさまり、人生を共にする。同性愛者だとしても。

 もちろんシングルを選択する人もいる。結婚が全てじゃない。何が幸せなのかは、本人にしか分からない。孤独死した人を、世間は哀れむ。生前は、さぞ寂しかったのだろうと。生活のスタイルの違い。誰かとの繋がりの在り方の模索。そのままの自分なんて、受け入れられないだろう。だから敢えて孤立を選ぶ。そんな人を揶揄することは、現代的なんだろうか。老後をどう過ごしていくのか。現実的な問題はもちろんある。政治は、そこを突き詰めて考えていくべきだ。

 死んだ後に、葬式にきて欲しいまでとは言わない。ただ、お疲れさまと心の中で思ってほしい。それが家族の定義なんじゃないだろうか。生きることは辛い。最後に労いの言葉をかける。誰しにも、そういう人ができること。希望の光だ。たったひとつの尊い命が、朽ち果てるとき、誰かがそばにいるんだろうか。愛する人が手を握っているんだろうか。究極的には、僕らは誰かと一緒に亡くなることはできない。世界には、こんなにもの人間がいるのに。

 たまたま分かり合えるパートナーに出会えた。同棲にも、少しづつ慣れてきた。(楽しいことの方が多い。)彼と家族になる過程に、今、いる。関係性を説明することの難しさ。陽の目を浴びない草木のように。弱々しい姿だとしても。男同士が一緒に住んだって、友人じゃないか。そんな言葉は、もうどうでもいい。この幸せは、2人にしか分からない。広い空へと叫びたい。自分なりの背丈で。大げさに。これからの未来のために。

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自分のこと

幸福とは、あるいはメランコリックなムードで

 自分を貫き通すって、どういうことなんだろう。最近、そんなことを考えている。もしみんなに平等に、気持ちの悪い部分があると仮定する。(もちろん、みんなのことは分からないので仮定の話になる)その側面って、他人に見せたくないから、隠しながら生きる。幼いときはそれでいい。でも人は少なからず、大人になる。否が応でも。

★★★

・ゲイとして

 日常生活で勃発する会話たち。それが恐怖だった。なぜだか、どこかの瞬間に自分のターンがきて、話すことを余儀なくされる。なんとも、窮屈だ。軽く受け流せばいいのだけど。コミュニケーションとは不思議なもので、そんな僕の薄ら笑いで、場は一気にしらける。

 もちろん計算はする。ここでゲイであることを告げた場合、もし拒絶されたら、明日から気まずくなるのは嫌だ。本当のことを言いたいという衝動を抑えて、次の話題になるのを待つ。そんな日々は、果たして愉快なものなのか。何か悪いことをしたわけじゃないのに、僕の心はいつも下を向いている。

・雨の夜に

 異物のように存在する、僕の中のセクシュアル・マイノリティーとして自我は、年とともに、腫れものようなアイデンティティとして、大きくなっているみたいだ。どうやら、それは具体的すぎるくらい、はっきりとした輪郭を持っている。もし、これをさらけ出せば、排除されるのだと、怯えるのは、阿呆らしい。

 もし嫌がられても、これが自分なんですと涼しい顔で過ごす。それが、自分を貫き通すことなら、僕はそれを、やりたい。むしろそうじゃないと意味がない。そろそろ40代も見えてきた。大人になろうよ、少しくらいは。そんな決意は、言葉が水滴に溶ける、雨の夜に固まったりする。

★★★

 今日も、野宿者は寒さを堪えながら寝床につくだろうし、ガザでは空爆に怯える子どもたちが、眠りにつけなかったりするんだろう。それをなんとも思わない僕らは、狂っているのか。精神的にも、身体的にも、安全地帯にいること、これからもずっと揺るがない自由があること、幸せなんてものは、取るに足らないものだ。でも、それを手放してはいけない。

 もちろん、こなさなければいけない日常がある。自分なりの正解を選択していかなければならない。分からないなりにも。メランコリックなムードで終わりを迎える映画みたいに、人生が進めばいいのに。リアリティだけが、この手の中にある。まるでまやかしみたいに光るそれは、やがて、よき世界へといざなう祈りになる。

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自分のこと

僕の祈りとは逆行して、世界は暴力で満ちていく

 つい確固たる自分なんてものを探してしまう。そりゃ35年近く生きてきた。それなりの答えはある。それが、邪魔をして挑戦を避ける方向に思考が進んでいく。ずっと同じ状態を保つことはできない。生きるモチベーションが上がったり、下がったり。でも、それでいい。揺らぎの中にいる僕は、強くて美しい。途切れない私を紡いでいく。確かな意味を失ったとき、新しく出会う人たちは、優しい顔をしていた。

★   ★   ★

・ノウハウをよこせ、あるいは息をする僕ら

 しくじって失敗する。何度でもある。それを人に話して、一緒に笑う。いわゆる、「ネタにする」という行為。そこに、純真さがあればあるほど、完成度は上がる。嘘のない言葉は、誰かの心に響く。でも、もしそのエピソードが、例えば、自分が同性愛者だと告げなければ、成り立たないものだとしたら。そこで躊躇して、話すのをやめた瞬間が、何回あっただろう。

 ゲイという属性に、特別な役割を見出そうとしているわけじゃない。きっとこれまで、セクシュアル・マイノリティーという言葉さえも一般的でないときから、彼らは暮らしてきた。自分のダメな部分を、さらけ出せず、中に溜まっていく過程で、どのように生活を乗り越えてきたか。そのノウハウを明確にする必要がある。だって僕らは、今もこうして潰れそうな心を持ちながら、息をしているわけだから。

・ひとまず孤独は横へ置いておいて

 揺らぎを人に見せるのが、本当に怖かった。最初に答えを用意しとかないと落ち着かない。きっと不完全な自分は、受け入れられないだろうし、その場から排除されるだろうと思ってた。ここにきて、かっこの悪い僕を見てほしいという考えが芽生えている。大人になるということは、縛りをなくしていくことなのだ。こうじゃないといけないルールを撤廃し、自由に人生を歩く。目の前の見晴らしは緑に囲まれている。

 自分の中に疑問を掲げて、納得するまで考える。一人でいるときは、僕はたえず、それを繰り返していた。でも、それもなんだかつまらない。たぶん孤独に飽きてきたんだと思う。周囲から愛される自分なんて想像できなかったあの頃の僕へ。君は、今でも、死んだ父のことを忘れないでいる。悲しみを共有できるパートナーにも恵まれている。だから、心配はいらない。

★   ★   ★

 こうして文章を綴っている今でも、ガザなんかでは、ミサイルに怯えている子どもたちがいる。戦争を終えよと語りかける遠くの人々の声は届かない。僕の祈りとは逆行して、暴力が世界を支配していく。この同じ空の下で、不条理なことを、いつまで続けていくのか。楽園を描いていく行為に、明確な使命なんていらない。せめて貴方の良心を信じる気持ちが、消えないことを願って。

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思考

天使への祈り

 気の迷いもある。調子の悪い時もある。健やかでいられない日もある。自分を責める気持ちが収まらない。1人になりたい。誰かに迷惑をかけちゃいけないから。孤独に踊る君は、痛々しくもあり、儚く美しい。歳をとれば、分かることもある。時が、優しく僕に語りかけてくる。もう大丈夫だ。さあ、次へ行こう。

★   ★   ★

・友人との飲み会で思ったこと

 久しぶりに会う彼らは、なんだか元気そうに見えた。それだけで嬉しい。あまり僕は話すタイプでもないから、聞き手になる。みなが、それぞれに憧れた生き方があるのだなと思う。アウトローな男の生き様に感化される者、伝統工芸品を作る職人を目指す者、翻訳の仕事に着手し始める者。選択という行動の重み。人生の岐路。正解の道なんてものはない。ここはまだ、旅の真ん中。

 だいたい同年代の集まりだったのだけれど。どうしてこうも、違いができてくるんだろう。個性を尊重しましょうと唱えられて、いくばくか経つ。必死になって、自分だけのオリジナリティー、かけがえのないもの、やむにやまれぬ生きる理由を探す僕らは、本当に生きづらい。だいたい、そんなものは、探しにいくものじゃなくて、向こうからやってくるのだ。いつか訪れる死みたいに。

・血の痕跡

 話って、だいたい背景には何があって、これまでの経緯、歴史を重ねて、どうして今が出来上がっているのかが、含まれている方が、面白い。(僕はそう思っている。)問題意識があると言ってもいいだろう。(もちろん、なんの味気もないくだらなさすぎるエピソードも好きなんだけど。)どの文脈で、それが語られているか、ディテールまで豊かに再現されているか。ときに、散りばめられた言葉の欠片が、心に届くときがある。

 たぶん何にたいして危機感を感じているのかが、その人の話の根幹にあるのだ。これまで生きてきた環境、出会ってきた人々、乗り越えてきた悲劇、そういうものが積み重なって、視点になっていく。こんなくそみたいな世界で、かろうじて自分を保とうとする。争いが勃発し、傷つけあって流れた血の鮮やかさは、生ぬるい日常に、くっきりと痕跡を残す。

★   ★   ★

 もちろん僕は、文章を書く人に憧れている。それくらいのことしか、できない。できることは、限られている。その中で、やれることを地道に続けていく。少しでも、下を向いて泣いている人の重荷を、軽くできたらと。もし天使が僕に舞い降りたなら、暴力をなくしてくださいと、祈る。信じることを、躊躇わない。きっと今夜の月が導く明日は、きれいだから。

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日常・コラム・エッセイ

雨雲、あるいは感情の在り処

 なんだか生まれ変わったみたいな感覚は、何なんだろう。思えば始まりは、あのときだったんだという自覚はある。理由や原因とかではなくて。僕は、いつだって自分でありたいのだ。正直、仕事であるとか、成果であるとか、数字であるとかの類はどうでもいい。それは、しがらみから自由でありたいというのとは、少し違う。もっと素朴で、純真で、イノセンスな風の迷い。目まぐるしい生活の芯となるもの。

 そんなこと言わなくても、お前はお前じゃないかと、あなたは言うだろう。でもそうじゃない。僕はたえず、生まれ変わっている。はじめに言ったように。はたから見れば、不安定な自分を評価しないはずだ。しっかりとした大人でありなさい。責任や役割を果たしなさい。その軸やベクトルから、逃げてきたのが、今までだったのだ。だって、めんどくさいじゃない。足かせになる重たいものは、持ちたくない。

 じゃあ、これからどう生きていくのか。問われているのは、シンプルにそこなんだと思う。これまでとは、違うように見える景色が確かにある。不安や恐怖があるのは、当然だ。というか、戸惑いしかない。つど揺れ動く思考と人生の狭間で、僕は何を望んでいるんだろう。幸せという一言に濃縮される要素は、まだ解離できない。空が遠い。もうすぐ日暮れだ。秋が近い。

 こんな訳の分からない文章に意味なんてあるんだろうか。そんなことを考え出したらキリがない。僕はこういうことを、言っていかないといけないし、言葉にしないといけないという妙な衝動がある。なにもかも順調にいっているようにみえるとき、その安定を破壊したい嘆きは、どこからやってきて、どこに消えていくんだろう。雨雲のように湧いてくる感情の在り処なんて知りたくもない。あるがままの声を届ける。ただ、それだけ。

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日常・コラム・エッセイ

誰のための知性なのか、あるいはソファの上の出来事

 彼と一緒に住み始めて、1週間になる。僕は僕のペースを保ち、彼は前と同じやり方で生活する。もちろん譲歩するべきところもあるし、家事は分担したいし、変えたくないこだわりもある。それらのバランスを取りながら、ぶつかり合うことなく、上手くやっていると思う。他人と同じ屋根の下で暮らすということは、少なからず、相手を思いやる心が芽生えることと、同義なのだ。

 今までは自分のことだけを、考えればよかった。でも心の一部分に、彼のスペースができて、たえず相手が居座っているような感覚。なるほど、同棲は、むず痒いんだなと思う。なんだかゆるい幸せは、続いていくような心地は悪くない。かつて、母が父と結ばれたときと同じようなものが、ここにあるなら、それは間違っていないような気がする。

 思い切って、二人で座るには十分な大きさのソファを購入した。僕らはそこで、夕食を共にしたり、セックスをしたり、仕事のことを話し合ったりする。お互い大人同士だから、それぞれの付き合いだってあるし、過去の話しにくい秘密だってあるだろう。それでも、同じ時間を共有しながら、これから同じ道を歩もうと思えたなら、いいじゃない。男同士であろうと、女同士であろうと。

 知性は誰のためにあるのかを考える。それは、自分のためだという人もいるだろう。でも僕は、立場の弱い人が、勇気をだして幸せへの道を決断する時の手助けになるものが、知性だと思っている。歴史の分岐点に立っていた人たちが、たくさんの力を注いできた結晶を、手放してはならない。もし、当たり前の権利を奪ってくる輩がいたのなら、それは悪意をもって戦う準備をしておこうと、僕は思っている。

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日常・コラム・エッセイ

僕は、何を怖がっているんだろう

安定なんていらない。欲しいのは変化だ。 常に揺れ動く今が愛おしい。

もうすぐ夏がくるだろう。 その時、僕はどんな気分なんだろう。 たぶんここにあるそれとは、全く違った心地に包まれているはずだ。

じつは親しく付き合っている人がいる。 一緒に住み始めようかなんて、楽しげに話したりする。 もしかしたら春は、そんな季節なのかもしれない。

★   ★   ★

 僕はこれまで、同性愛者として生きてきた。それなりにコツをつかみ、滞りなく日常を送るやり方を探ってきた。でもそれは、所詮、自分1人の生活にしか対応していなかったようだ。シングルでいるということは、さじ加減を選ぶことができる。これまでの恋愛について、どこまで話そうか。付き合っていた男性を彼女に置き換えて、出来るだけ嘘のないように誠実に、振る舞おうとしたり。

 しかし、相手がいるということは、なにもかもが違ってくる。一番困るのは、相手との関係を、どのように説明しようかという点だ。説明する必要なんてないといえば、そうなのかもしれない。そりゃ、それは僕にとって、どうでもいい人には、その理論が適用される。でも、例えば、家族だったり、親しい友人だったり、いつもお世話になっている近所の飲食店のマスターだったりしたらどうか。

 マイノリティーが自分のことについて語ることは、それほどまでに悪なんだろうかと、考えてしまう。そんな話し、聞きたくない。言う必要はない。辛辣な言葉が浮かぶ。僕は、何を怖がっているんだろう。ただ、パートナーを紹介するだけじゃないか。たぶん、それを躊躇してしまうのは、自分のせいじゃない。世界には、いろんな属性の人間がいるという普通を、見ないふりする私たちの、あるいは社会の問題だからだ。

 カミングアウトという言葉は、大袈裟すぎて、あんまり好きじゃない。(そう呼びたければ勝手にすればいい。)ゲイであることは、僕のほんの一部分にすぎない。なのにそれを告げた途端、その印象が全てになる。なんとも阿呆らしい。セクシュアリティの話を、繊細に丁寧に複雑のまま扱えない人間は、きらいだ。

★   ★   ★

 僕らは、とりあえず幸せの方に舵を切らねばならない。たとえ、視界が不良でも。未来なんて、どうでもいいと思ってた。気持ちのいい今さえあれば。でも少しビターな大人の感覚を、噛み締めてみよう。散りゆく桜を見て、そんなことを思った、昼下がり。

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思考

そんなこと聞いてない

 たまに自分が分からなくなる。どんな時に悲しくて、どんな時に嬉しかったのかを、忘れてしまうみたいに。と言っても、僕がどのような人間であるかを、他人は決めてくれない。その事実が、恐ろしいと思うのは、空虚な悩みだろうか。

 くよくよしている状況に四苦八苦する日常。いっそのこと、いや、だからこそ、愛について、希望について、所有について、何も疑わなかったあの頃に戻りたいと思う。この世界は、ときに僕が僕でいることを、拒んでくる。

★   ★   ★

・世の中がぎすぎすしている理由

 お金が動いている気配がする。そんなとき、僕はこの社会の片隅に追いやられていると感じる。だってそれは、自分にとって関係のない流れだから。そこで生じている売買や取引について考えた。たぶん、商品を提供している側も、高い値段の理由を見失っているんじゃないか。

 いろんなサービスが、できては消えていく。それらは果たして、それ程の価値を世の中に付与しているのか。そこが分からないから、取り繕う。体を装う。もっともらしくする。綻びが出ないように。どんどん中身が空っぽになって、働く人々は、ぎすぎすした空気に疲弊していく。

・正しさなんて

 そして、疲れた大人は寛容さを失い、蔑んでもいいんだと周りから認定された者をターゲットにして、排除していく。そうでもしないと、資源やお金は限られているんだから、自分たちの取り分が減ってしまう。何の取り柄もない奴を、養っていく余裕はないという理論が、正しいのか。

 弱者にたいして、マジョリティー側が権利を認めるかどうかが、議論される。立ち位置の不公平について、指摘する人はいない。いつから僕らは、人間の価値を値踏みするようになったんだろう。歴史から見えてくる、淀みのない形だけの正しさが泣いている。そんな風に思う。

★   ★   ★

 いやいや社会って、そういうもんだろと誰かが言う。でも、そんなこと聞いてない。ある社会学者が言っていたんだけど、社会とは私たちのことだから、それは私たちの問題であるらしい。それならば、その私たちは、障がい者だし、LGBTQの人たちだし、外国人であるかもしれない。とりあえず、僕らは生きていかねばならない。あなたがあなたである理由を、見つけるみたいに。

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