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自分のこと

幸福とは、あるいはメランコリックなムードで

 自分を貫き通すって、どういうことなんだろう。最近、そんなことを考えている。もしみんなに平等に、気持ちの悪い部分があると仮定する。(もちろん、みんなのことは分からないので仮定の話になる)その側面って、他人に見せたくないから、隠しながら生きる。幼いときはそれでいい。でも人は少なからず、大人になる。否が応でも。

★★★

・ゲイとして

 日常生活で勃発する会話たち。それが恐怖だった。なぜだか、どこかの瞬間に自分のターンがきて、話すことを余儀なくされる。なんとも、窮屈だ。軽く受け流せばいいのだけど。コミュニケーションとは不思議なもので、そんな僕の薄ら笑いで、場は一気にしらける。

 もちろん計算はする。ここでゲイであることを告げた場合、もし拒絶されたら、明日から気まずくなるのは嫌だ。本当のことを言いたいという衝動を抑えて、次の話題になるのを待つ。そんな日々は、果たして愉快なものなのか。何か悪いことをしたわけじゃないのに、僕の心はいつも下を向いている。

・雨の夜に

 異物のように存在する、僕の中のセクシュアル・マイノリティーとして自我は、年とともに、腫れものようなアイデンティティとして、大きくなっているみたいだ。どうやら、それは具体的すぎるくらい、はっきりとした輪郭を持っている。もし、これをさらけ出せば、排除されるのだと、怯えるのは、阿呆らしい。

 もし嫌がられても、これが自分なんですと涼しい顔で過ごす。それが、自分を貫き通すことなら、僕はそれを、やりたい。むしろそうじゃないと意味がない。そろそろ40代も見えてきた。大人になろうよ、少しくらいは。そんな決意は、言葉が水滴に溶ける、雨の夜に固まったりする。

★★★

 今日も、野宿者は寒さを堪えながら寝床につくだろうし、ガザでは空爆に怯える子どもたちが、眠りにつけなかったりするんだろう。それをなんとも思わない僕らは、狂っているのか。精神的にも、身体的にも、安全地帯にいること、これからもずっと揺るがない自由があること、幸せなんてものは、取るに足らないものだ。でも、それを手放してはいけない。

 もちろん、こなさなければいけない日常がある。自分なりの正解を選択していかなければならない。分からないなりにも。メランコリックなムードで終わりを迎える映画みたいに、人生が進めばいいのに。リアリティだけが、この手の中にある。まるでまやかしみたいに光るそれは、やがて、よき世界へといざなう祈りになる。

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作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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