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日常・コラム・エッセイ

陽を浴びない草木だとしても

 家族の定義について考える。ペットだって、もう共に暮らす大事な一員になる。時代とともに価値観は変容していき、当たり前が崩れていく。それが嫌だという人もいる。保守とリベラルとの分断は、何を意味するのか。父と母から、僕は生まれた。両親に育てられたという確かな愛が、自分の中にあるのが分かる。そして、もちろん、大人になる。恋人だってできるだろう。家族という枠におさまり、人生を共にする。同性愛者だとしても。

 もちろんシングルを選択する人もいる。結婚が全てじゃない。何が幸せなのかは、本人にしか分からない。孤独死した人を、世間は哀れむ。生前は、さぞ寂しかったのだろうと。生活のスタイルの違い。誰かとの繋がりの在り方の模索。そのままの自分なんて、受け入れられないだろう。だから敢えて孤立を選ぶ。そんな人を揶揄することは、現代的なんだろうか。老後をどう過ごしていくのか。現実的な問題はもちろんある。政治は、そこを突き詰めて考えていくべきだ。

 死んだ後に、葬式にきて欲しいまでとは言わない。ただ、お疲れさまと心の中で思ってほしい。それが家族の定義なんじゃないだろうか。生きることは辛い。最後に労いの言葉をかける。誰しにも、そういう人ができること。希望の光だ。たったひとつの尊い命が、朽ち果てるとき、誰かがそばにいるんだろうか。愛する人が手を握っているんだろうか。究極的には、僕らは誰かと一緒に亡くなることはできない。世界には、こんなにもの人間がいるのに。

 たまたま分かり合えるパートナーに出会えた。同棲にも、少しづつ慣れてきた。(楽しいことの方が多い。)彼と家族になる過程に、今、いる。関係性を説明することの難しさ。陽の目を浴びない草木のように。弱々しい姿だとしても。男同士が一緒に住んだって、友人じゃないか。そんな言葉は、もうどうでもいい。この幸せは、2人にしか分からない。広い空へと叫びたい。自分なりの背丈で。大げさに。これからの未来のために。

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作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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