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日常・コラム・エッセイ

誰のための知性なのか、あるいはソファの上の出来事

 彼と一緒に住み始めて、1週間になる。僕は僕のペースを保ち、彼は前と同じやり方で生活する。もちろん譲歩するべきところもあるし、家事は分担したいし、変えたくないこだわりもある。それらのバランスを取りながら、ぶつかり合うことなく、上手くやっていると思う。他人と同じ屋根の下で暮らすということは、少なからず、相手を思いやる心が芽生えることと、同義なのだ。

 今までは自分のことだけを、考えればよかった。でも心の一部分に、彼のスペースができて、たえず相手が居座っているような感覚。なるほど、同棲は、むず痒いんだなと思う。なんだかゆるい幸せは、続いていくような心地は悪くない。かつて、母が父と結ばれたときと同じようなものが、ここにあるなら、それは間違っていないような気がする。

 思い切って、二人で座るには十分な大きさのソファを購入した。僕らはそこで、夕食を共にしたり、セックスをしたり、仕事のことを話し合ったりする。お互い大人同士だから、それぞれの付き合いだってあるし、過去の話しにくい秘密だってあるだろう。それでも、同じ時間を共有しながら、これから同じ道を歩もうと思えたなら、いいじゃない。男同士であろうと、女同士であろうと。

 知性は誰のためにあるのかを考える。それは、自分のためだという人もいるだろう。でも僕は、立場の弱い人が、勇気をだして幸せへの道を決断する時の手助けになるものが、知性だと思っている。歴史の分岐点に立っていた人たちが、たくさんの力を注いできた結晶を、手放してはならない。もし、当たり前の権利を奪ってくる輩がいたのなら、それは悪意をもって戦う準備をしておこうと、僕は思っている。

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作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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