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思考

ここに、愛はなくても

 抑圧という、言葉は、何を、意味しているのか。どうやら、それは、意識的に、感知するのは、不可能であるらしい。僕らは、知らぬ間に、押し込められて、それでも、なにひとつ、不完全なことなどないような顔をしている。だから、自由の解放の歌が、聞こえてきても、すべて、聞き流してしまう。気付かないだけで、ジェンダーロールや、既存の価値観によって、がんじがらめに、縛られている。

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・欲望の果て
 どんな望みも、叶えなければ、意味がないと、勘違いをしている。願望なんてものは、飼い慣らしてしまえば、知らぬ間に、しぼんでいく。時間が、経過すれば、そんな欲は、はじめから、存在しないように、消えていく。欲望を、満たしてしまった後のことを、恐れている。もう、僕には、なにかを満たしたという希望は、湧いてこないんじゃないか。そんな、心配も、徒労におわる。少し経てば、すぐに、次の欲求が湧いてくる僕らは、少し醜いとさえ思う。

・友人の話、あるいは功利主義からの脱却
 絶えず、腹が減る。ここで、特別養護老人ホームで働いている友人の話を、思い出す。亡くなる直前は、ご飯を口にしなくなる利用者が、いるという。それは、死の準備をしているようだと、語る。幸福の効用を最大化することが、善とする功利主義の立場からは、空腹という不快は、払拭しなければならない。だけど、死期を悟った老人は、それを、放置する。いわば、せせこましいルールから脱却を、実現している。

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 最終的に、僕らは、なにを、求めていくんだろう。たとえば、それが、愛だったりするならば、その愛という言葉の定義を、もっと具体的にしていくべきじゃないか。ロマンも、へったくれもない話だ。いまのところ、その作業は、難航している。だけど、それでいい。時間は、じゅうにぶんにある。いまだ、ここに、愛がなくても。

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作成者: 木下 拓也

1987年、大阪生まれ。ライター志望。
兵庫の大学を卒業してから、フリーターとして働いています。
セクシュアリティーは、人生を豊かにすると信じる人間です。
書いて、伝えることを大切にしています。

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